(その3) 

  私の話は、人々が支障なく聞けるまでに上達しました。耳もずいぶん良くなり、補聴器をはずしました。ゲレン先生と二年半過ごした後、私はエイボンレイクにもどり障害者の友人を訪ねました。主が祝福してくださったと思います。一年間両親と過ごしましたが、主は私にさらに働くことを求めておられました。ゲレン先生は、イエス様のことを聞いたこともない障害者はたくさんいるのだから働き場を一つに制限すべきでないとおっしゃいました。それで、私はシャディーレスト・バイブル・カンファランスにもどり、そこを一時的な伝道の拠点としました。そして、ペンシルバニア州のスクラトン周辺で身障者のための働きを一年間続けました。 

 私は身障者のいない色々な教会へ、大抵は証のためですが、行って話す特権がありました。このようなことが可能になろうとは夢にも思いませんでしたが、主はそれが出来るようにして下さいました。又、この地域にいる間に、ノースカロライナ州サリスベリーのボブ・ヘス牧師から長距離電話を頂きました。この先生の教会では天幕でリバイバル集会を行なっていました。先生は私にそのリバイバル集会で証をしてほしいとおっしゃいました。1956年8月、私は喜んでお引き受けし、そこに二週間半滞在しました。主は祝福して下さいました。 

 リバイバル集会の間に、地方のラジオ局からラジオで話してほしいと依頼がありました。私は本当に感謝しました。話すことすら出来なかった者が、ラジオを通して話をしているのです。これを喜ばずにいられるでしょうか。 

 私はスクラトンに戻って働きを続けました。私は自分のラジオ番組を持つように頼まれました。それはペンシルバニア州のモントローズのWPELで、「身障者への勇気と希望の時間」というタイトルの番組でした。この働きは、主がフロリダ州オカラで働くように私を召して下さるまでの六ヵ月間続けられました。このオカラは現在伝道の拠点となっています。ここから、身障者の方々がイエス様のご栄光へと導かれています。 

 一九五七年の夏はシャディーレストのゲレン先生のもとに戻り、先生を手伝いました。又、九月一日に按手を受けることになっていました。ここで私は一人のとても可愛らしい女性ベティ・バーニーと出会いました。いま、彼女が私の妻です。私たちは1957年11月30日にウォルター・フォースト牧師によりセントラル・バプテスト教会で結婚式を挙げました。今では一人の娘と息子の両親です。 

 結婚して一ヵ月後、私は信仰によって私たちがより多くの身障者をキリストのために勝ちとれるよう、障害者伝道を法人化しました。名称は「神の御手の業(God's handi-work, Inc.)」です。今日私たちは様々な州に宣教師を派遣しておりますが、主が身障者が見いだされる様々な所に更に沢山の人を遣わして下さるよう祈っています。私達と共に祈って下さい。1966年に「神の御手の業」はシャディーレスト・バイブル・カンファランスの一つの働きとなりました。 

 主は私に宣教師、伝道者、そしてこの働きの創設者となることを許して下さいました。しかし、忘れてならないのは、主なくして私は何もなしえず、主がすべてであることです。なされた全てのこと、又これからなされる全てのことは主お一人によってなされていくのです。主なしには私は何も出来ません。 

 これで私の証を終えたいと思います。私は楽しみながら話せたのでしょうか。もちろんです! 私は主の祝福に価する者でしょうか。いいえ! しかし、こんな私が神様の子供であるということを思うと、私は神様をほめたたえます。私は救い主イエス・キリストにお会いするのを楽しみにしております。私の魂を贖い、神様の子供として下さるため(ヨハネ一・一二)に十字架にかかって死んで下さったイエス様に感謝をしています。そして、神様の子供ですから(第一ヨハネ三・二)、完全な体を頂く日を楽しみにしています。 

 皆さんは私の証を通して神が今も御座についておられ、イエス様はご自分のもとにあなたが来て、あなたが自分の救い主として主を受け入れる(ロマ十・十三)のを待っておられるのが分かるはずです。もしも、あなたが障害者で、キリストを自分の救い主として受け入れるなら、あなたはこの世では身障者かも知れませんが、天においては主イエス・キリストのような完全な体を受けるでしょう(第一ヨハネ三・二)。しかし、受け入れないなら、あなたは悪魔や偽預言者たちのいる地獄でも身障者となるでしょう(黙示録二十・十)。地獄には醜い者や失われた者に対する完全な体は約束されていません。 

 あなたもキリストのもとへいらっしゃいませんか。(完) 

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