◆ ペテロの生涯(15)
習志野バプテスト教会週報
マルコ伝一六章七節に、されど行きて、弟子たちとペテロとにつげよ…≠ニ書かれていることを読むと、主イエスをうらぎった時点からペテロは弟子の一人として扱われず、一人の弱い人間としてみられたのではなかろうか。私たちでもそうであろう。罪の深さを自覚する者はリーダーの座をおりるものだ。 主イエスのおそばにつき従っていたヨハネは、この時のペテロの悲しみと苦痛を目のあたりにして強い印象を受けたのであろう。のちにヨハネは第一の手紙一の九でもし己(おのれ)の罪を言いあらわさば、神は真実にして正しければ、我らの罪をゆるし、すべての不義より我らをきよめ給わん≠ニ書いて、ペテロだけでなくあとに続く私たちすべてに神さまのゆるしを説いている。 ウッドブリッジ博士はこう言っている、
イエス言いたもう「きたりて食せよ」。
信仰生活は難しいと考える人が多い。ペテロは何かと答えるだろうか。「自分の知恵や力にたよるならばこれほどむずかしい道はないが、何でもご存知のキリストにすべてをさらけ出して従えば、こんな楽な道はない。」 ( 続 く )
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