◆ ペテロの生涯(15) 

        習志野バプテスト教会週報 
        二〇〇〇年一月一六日号 
        ▽自分から目をはなそう
 
▽ ペテロの回復
 ペテロは主イエスに対して、死を堵しても従いますと忠誠を誓った。しかし、三度もキリストを知らないと言って追求の手をのがれようとした。そんなペテロを主イエスは目をとめてごらんになった(ルカ二二・六一)。ペテロは主のみ言葉を思いだし、外に出て甚(いた)く泣いたとルカは記している。

 マルコ伝一六章七節に、されど行きて、弟子たちとペテロとにつげよ…≠ニ書かれていることを読むと、主イエスをうらぎった時点からペテロは弟子の一人として扱われず、一人の弱い人間としてみられたのではなかろうか。私たちでもそうであろう。罪の深さを自覚する者はリーダーの座をおりるものだ。

 主イエスのおそばにつき従っていたヨハネは、この時のペテロの悲しみと苦痛を目のあたりにして強い印象を受けたのであろう。のちにヨハネは第一の手紙一の九でもし己(おのれ)の罪を言いあらわさば、神は真実にして正しければ、我らの罪をゆるし、すべての不義より我らをきよめ給わん≠ニ書いて、ペテロだけでなくあとに続く私たちすべてに神さまのゆるしを説いている。

 ウッドブリッジ博士はこう言っている、
「私たちの救いはなくならないが、神とのまじわりという船(シップ)は難破することがある。」(まじわりのことを英語ではフェロシップという)。
キリストのゆるしと回復は一人ペテロにとどまらず、他の弟子たちにもあたえられた。ヨハネ伝二一章一節〜一二節を読まれるとよい。

イエス言いたもう「きたりて食せよ」。
十字架の下にはヨハネと数人の婦人信徒がいるだけであった。他の弟子たちは身をかくしていたようだ。その一人一人にむかって主は「きたりて食せよ」と招いてくださった。

信仰生活は難しいと考える人が多い。ペテロは何かと答えるだろうか。「自分の知恵や力にたよるならばこれほどむずかしい道はないが、何でもご存知のキリストにすべてをさらけ出して従えば、こんな楽な道はない。」

                 ( 続 く )

  


本ページへの問い合わせは ruthdick@mtj.biglobe.ne.jp までお願いします。