◆ ペテロの生涯(16) 

        習志野バプテスト教会週報 
        二〇〇〇年一月二三日号 
        ▽信仰の盾をとり前進
 

▽使徒行伝二章から継続
ペンテコステという教派を聞いたことがおありの方も多いと思うが、この章が名称の発生である。過越から五〇日の意味(大麦の初穂の束をささげる日から五〇日〓レビ記二三・一五以下)。この日に何が起こったのだろうか、そして何が起こらなかったのだろうか。そして現代の私たちにどのようなかかわりがあるのだろう?

 この時から教会は一致をあたえられた。この後に起こる大きな迫害と試練に対して聖霊のお守りがあることをあらわしている。

 四節彼らみな聖霊にてみたされ、みたまの宣べしむるままに異邦の言葉にて語りはじむ。… 五節 おのおの己が国語にて使徒たちの語るを聞きてさわぎ合い、かつ驚きあやしみて言う、「みよ、この語る者は皆ガリラヤ人ならずや、いかにして、我らおのおのの生れし国の言葉をきくか。

 六節から一二節において、多くの外国人がそれぞれの言葉で使徒たちからイエス・キリストの福音を聞かされたのである。勿論、今日同じことがあるわけではない。宣教師は皆その地の言葉を苦労して勉強しなければならないのだが、この時は、神様の特別なご計画があってすみやかに福音が伝えられる必要があったわけである。

 聖霊の働きによってクリスチャンは強められ、力強く福音を宣べ伝えた。ペテロの説教はその一例であった。そして肉の人であったペテロは、今あたらしく弟子たちのリーダーとして奉仕の先人に立ったのである。
三節に火のごときものあらわれ≠ニある。

 火は、けがれをきよめ、不純物をのぞく。冷えたものをあたため、更に暗闇を照らす働きがある。聖霊の内住をいただくクリスチャンは、同じようにきよめられ神の愛によって暖められると同時に他の人々を暖める。汝らは世の光なり≠ニキリストはおおせになったが、すべてキリストをあがめる者は、罪の世にあって光をかかげる役割を与えられているのだ。

 肉の力でキリストに従い、肉の思いで先頭に立ったシモンは失敗の連続であった。聖霊の内住をいただいたペテロは、全く新しい生き方をするようにされた。地上で自己保全を願う生き方から、我らの国籍は天にありという認識のもとに、ひたすら 神のみ前に自我が十字架につけられる日々を送るようにかえられたのである。

それは敗北から勝利への大転換の経験であった。
                 ( 続 く )

◎ 暗誦聖句 コロサイ書 二章一〇節前半  
汝らは彼に在りて満足れるなり。
  


本ページへの問い合わせは ruthdick@mtj.biglobe.ne.jp までお願いします。