◆ ペテロの生涯(17) 

        習志野バプテスト教会週報 
        二〇〇〇年一月三〇日号 
        ▽「主イエスの名によって」!
 

昼の三時、祈の時に ペテロとヨハネと宮にのぼりしがここに生まれながらの足なえかかれて来る。宮に入る人よりほどこしを乞うために日日宮の美しという門におかるるなり。ペテロとヨハネとの宮に入らんとするを見てほどこしを乞いたれば、ペテロ、ヨハネと共に目をとめて「我らを見よ」と言う。彼何をか受くるならんと、彼らを見つめたるに、ペテロ言う「金銀は我になし、されど我にあるものを汝にあたう、ナザレのイエス・キリストの名によりて歩め」。すなわち右の手をとりておこししに、足の甲とくるぶしとたちどころに強くなりて、おどり立ち、歩み出して… 神を賛美しつつ彼らと共に宮に入れり。
         使徒行伝三章一〜八節

 聖書の記録の人物像は過去現在を問わず非常に普遍的であり典型的な人間の霊的な様を象徴している。足がなえて歩くことの出来なかったこじきは、

ア、自分の力ではどうすることも出来ない状態にあった(エペソ書二の八、九。救いは神の賜物であり、人間の力によらない)

イ、彼は貧しい者であった。
富める者と貧しき者とともに世におる。凡て之をつくりし者はエホバなり=i箴言二二・二)

ウ、彼は「ただちに」いやされ、救いを受けた。
 神さまがくださる救いは一瞬の出来ごとであり、永続的である。人間の考える救いは、一生かかってつみかさねる努力であり、よくない行い一つでくずれてしまう弱いものであることが多い。

エ、このこじきであった人は、いやされた後、多くの人
にあかしをした。

オ、彼は救われたあと、すぐに他のクリスチャンたちとまじわり、神をほめたたえるようにされた。

▽こじきが必要としたものは何であったか?

ア、彼は一番てっとり早いお金を求めていた。人間にとって一番大切なものはお金であると誤解していた。今日でも多くの人が「生命」や「幸福」をお金で手に入れようとして道をふみあやまっているようだ。

イ、この男だけでなく、すべての人にとって本当に必要なことは、神のくださった救い主をお受けすることである。せまい門≠ゥら入らなくてはならない。

▽イエス・キリストの名によって!
 クリスチャンが神さまから力をいただくことの出来る方法は簡単である。祈と奉仕において、主イエス・キリストをあおぎみることである。自分の力にたよろうとするおろかをやめよう。 
           ( 続 く )

◎ 暗誦聖句  エレミヤ記三三章三節
 
 


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