◆ ペテロの生涯(19) 

        習志野バプテスト教会週報 
        二〇〇〇年二月一三日号 
        ▽"きびしさ"に勝つ祝福

されど、いよいよ広く民の中に言い広まらぬように、彼らを脅かして今より後かの名によりて誰にも語ることなからしめん。
    使徒行伝四章一七節

 聖書は、神に敵対する勢力と信仰者との戦いの記録を多く残している。国と国との力の争いとくらべるとそれはもっと長くてきびしい戦いである。国家の戦争は金と武器と兵力が問題だが、信仰の戦いは、個人の戦いである。反対者は数が多くてクリスチャンは一人で立たなければならないことが多い。戦闘につきものの武器ももたない。力にかわるのは信仰と祈りであり、忍耐である。

一、迫害は、ペテロが足なえの乞食をキリストの名によって立たせたという善い事のためにおこった。同様なことがヨハネ伝一〇章三一節に書かれている。

二、迫害は一般的にいって宗教家たちからおこる。
 使徒行伝では、宮守がしら、サドカイ派の人たち、サンヒドリンの議会など、信心ぶかいと思われていた人たちがクリスチャンを迫害する側になった。ねたみと自分たちの保全のためであった。

三.迫害はクリスチャンの信仰をダメにしたり棄教させるよりも、かえって神さまに近づける働きをする。四章全体にそのことが記されている通りである。

今日の日本はかつてなかったほどに恵まれている。自分たちの努力によるというよりも他国の力によってあたえられた信仰の自由である。いずれにせよ、信仰のよろこびを高らかに歌おう。苦難はキリストに私たちを近づける。キリストのみ名のために苦しめられることはよろこび(ペテロ前四・一三)であり報いが大きい。
 
                ( 続 く )

▽レビ記からのはげまし。
レビの人々に対する祭儀の手引として書かれたものですが、イスラエル人全てに関することでした。ヘブル語のタイトルは、聖潔への神の呼びかけです。筆者はモーセです。

 鍵の言葉は、犠牲(四二回)祭司(一八九回)血(八六回)聖い(八七回)あがない(四五回)。

 このレビ記は神の聖さと神とのまじわりを求める者の条件について、人間の罪の深さを示し、あがないについて教えます。罪ふかい人間が神に近づく道を示しています。

一.神に近づく方法〓犠牲 一〜一〇・二〇

 ア.ささげものによって 一〜七章

 イ.祭司によって    八〜一〇章

二.神と共に歩む道〓聖化 一一〜二七章
 

◎ 暗誦聖句  コロサイ書三章二節  
汝ら上にあるものを思い、地にあるものを思うな。
 
 


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