◆ ペテロの生涯(21) 

        習志野バプテスト教会週報 
        二〇〇〇年三月五日号 
        ▽ 困難から逃げるなかれ 
 

「いよいよ広く民の中に言いひろまらぬように、彼らを脅かして今より後かの名によりて誰にも語ることなからしめん」すなわち彼らを呼び、一切イエスの名によりて語り、また教えざらんことを命じたり。ペテロとヨハネと答えて言う「神に聴くよりも汝らに聴くは、神の御前に正しきか、汝ら之を審け。我らは見しこと聴きしことを語らざるを得ず」 

ここに大祭司および之とともなる者、即ちサドカイ派の人々、みな嫉に満されて立ち、使徒たちに手をかけて之を留置場に入る。然るに主の使い、夜、獄の戸をひらき、彼らを連れ出して言う、「行きて宮に立ち、この生命の言葉をことごとく民に語れ」 
 使徒行伝四章一七〜二〇、五章一七〜二〇節 

 ペテロは当時の宗教指導者たちを震撼させた。 

 キリストの弟子たちを殺そうという動きが出たとき、一人の教法学者がそれをとどめた。彼は神さまにおつかえする弟子たちにどのように接し、対処するか十分心をもちいるようにと忠告した。「人から出たものなら、やがてやぶれるが、神から出たことであるなら、彼らを敵にまわしてはならない。なぜなら、あなたたちは神に敵対することになるからだ。」と語った。 
  
 教会は歴史を通じて迫害を受けることが多かった。だが迫害は決してキリスト教会をほろぼすことはなかった。むしろ、殉教者の血は教会を固く立たせて救霊の火をかき立てたのである。妥協となまぬるさは教会を堕落させる。 

 信者は二人ずつで家々をまわって福音を語った。すべてのクリスチャンが何らかのかたちで加わった。 

 弟子たちは神様のお言葉を教え、同時にイエス・キリストこそ真の救い主であるということを説き明かしたのである。 

 ムーディという伝道者がシカゴで大きなテントを使って伝道集会をもったときのこと。彼の説教題は、それ人の子の来れるは失せたる者を尋ねて救わんためなり≠ナあった。サーカス用の大きなテントに大勢の人が集まっていた。説教が終わると、一人の少年がムーディ師のところに連れてこられた。お父さんとはぐれて迷い子になってしまったのだ。ムーディ師はその子を壇上に立たせて父親をさがした時、群衆をかきわけて一人の男性がやってきた。ムーデイ師曰く、「皆さん、このように神様はあなたをむかえて下さるのです。あなたも今日、神様に立ちかえって下さい。」 
ペテロは主イエスの愛をうらぎった苦い体験をもつ。復活のキリストにかえられた後、十字架の使徒となった。 
        ( 続 く ) 
 
 

  
◎ 暗誦聖句   コロサイ書三章十一節後半   
それキリストは萬の物なり、萬のものの中にあり 

 


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