◆ ペテロの生涯(22) 

        習志野バプテスト教会週報 
        二〇〇〇年三月一二日号 
        ▽十字架の意義を再考しよう
 

ペテロ口を開きて言う、「われ今まことに知る、神はかたよることをせず、いずれの国の人にても神をうやまいて義をおこなう者をいれ給うことを。神はイエス・キリスト(これ萬民の主)によりて平和の福音をのべ、イスラエルの子孫に言葉をおくり給えり。
         使徒行伝一〇章三四〜三六節

 ペテロの生涯において重要な変化がおこった。

 それまでエルサレムを中心になされた伝道活動は、ユダヤ人以外に及んだのである。使徒パウロははじめから異邦人伝道のために召されたと語っているが、ペテロのばあいはユダヤ人中心であった。そのペテロが、神様から直接に福音の普遍性を教えられたのである。

 そのことは使徒の働らきにおいても大きな意味をあたえるようになった。

ペンテコステの時にはユダヤ人だけ

八章ではサマリヤ人に(混血)

一〇章からは異邦人に伝道。

一、コルネリオの独善

 善良で信心ぶかい人だったが、彼は救われていなかった。

 私たちは主イエス・キリストのみ名を信じなければ救われない。

彼(キリスト)につきては預言者たちも皆、おおよそ彼を信ずる者の、その名によりて罪のゆるしを得べきことを証す=i四三節)。

 ペテロの場合には夢うつつの状態で幻を受けた。

 けれども今はそのような時代ではない。明らかに書かれた神のみ言葉によって神のご意志を学ぶのである(黙示録二二・一八、一九)。

 ある特定の民族の神とは世界各地の宗教にみられる。ユダヤ人は、異邦人(ユダヤ人以外のすべて)は真の神を知らないと考えていた。旧約聖書においても見られるところだか、神様はユダヤ人以外の神でもあられるということが記されている。ユダヤ人は異邦人に神のみ言葉を正しく伝え、模範を示すようにえらばれたにも拘らず、その役割を果たさないでいた(詩九八、一四六、イザヤ四五・二二、イザヤ五五)。

 ユダヤ至上主義だったペテロは、神様が全世界の造り主であられ、人間を愛しておられることを知らされた。

 神に油をそそがれた主イエスは十字架で死に、葬られ、そしてよみがえられ、私たちのためにとりなしておられるというペテロの説教は全人類に対する福音である。

           (ペテロの生涯シリーズ終)
 
 

◎ 暗誦聖句    コロサイ書三章二五節前半
不義を行う者はその不義の報いを受けん。
 
 


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