◆ アブラハムの生涯(1)
習志野バプテスト教会週報
◇ 創世記第十一章十節は分岐点である。それ以前においては人類全体について書かれ、ここからは単一民族が対象とされている。 セムの伝は是なり。セム百歳にして洪水の後の二年にアルパクサデを生めり 十一章の一節から九節までには多くの人が耳にしたことのあるバベルの塔について記録されている。バベル(乱れ)のあとに様々な支障と誤解が増した。神様は創世記三章十五節に記録されているように女のすえから救い主をあたえるというお約束を守られるために特別の民をおえらびになった。 さらに人類全体が真の神を知ることが出来るように、神について、神の存在・ご性質・みこころなどをこの民を通しておしめしになろうとなさった。
◇ アブラハムの名前は聖書六六巻中の二七巻に出ている。どれほど重要な人物であったかが察せられる。使徒パウロはアブラハムのことを すべての者の父≠ニ書いている。 この故に世嗣たることの恩恵にあづからんために信仰に由るなり、是かの約束のアブラハムのすべての裔、すなわち律法による裔のみならず、彼の信仰にならう裔にも堅うせられんためなり=iロマ書四・十六) ◇ バベルの塔建設は、人間が自分たちを偉大な存在として誇り、神にとってかわろうとした努力であった。アブラムはそれとは対照的に、天に自分の住居を求めたのである。彼はカルデヤのウル(バビロン南部)に住んでいた。 創世記十二章一節には神様がアブラムを召しておられるが、彼はウルから約六百キロメートルはなれたハランにとどまった。その最大の障害は「血縁」であったと思われる。神様が私たちをお召しになる時、人間の全面的な服従をのぞまれるのである。 アブラムがその家族とハランにとどまっている間は、神様からの新しい啓示はなかった。神様は決して私たちを無理じいしてどこかへ導こうとなさらない。アブラムの生涯は「はなれる」ことに大きな意味があった。次のみ言葉を黙想しよう。 されど、我には我らの主イエス・キリストの十字架 のほかに誇る所あらざれ。これによりて世は我に対し て十字架につけられたり。我が世に対するもまた然り。 それ割礼を受くるも受けぬも、共に数うるに足らず。
◎ 暗誦聖句 伝道之書十二章十三節後半 |