◆ アブラハムの生涯(7)
習志野バプテスト教会週報
アブラハムが嗣業(しぎょう)として受けた地は、律法によるのではなく、約束によった。 アブラハム世界の世つぎたるべしとの約束を、アブラハムとその末とのあたえられしは、律法によらず、信仰の義によれるなり。もし律法による者ども世つぎたらば、信仰はむなしく約束はすたるなり。
信仰の道と歩みは、すべての信仰者の父であるアブラハムによって見事にあらわされた。 信仰の勇者アブラハムと私たちの間には非常に大きなへだたりがあるから、とてもついて行けない、と考える人もあろう。創世記一六章を読むと、「彼も人なり」ということがわかってくる。子供と子孫の約束をあたえられたアブラハムであったが、神のご計画に対して待つことができなかった。あれほど神様を信じたのにどうしたわけであろう?約束から一〇年がたっていた。神様は約束をおわすれになったのだろうか。サラは子供をうむ年令をはるかにこしているというのに。 人間の合理主義、情緒主義、知識偏重、人間関係にとらわれすぎて神の警告に耳をかたむけない、など、どれもアブラハムと共通の弱さを生じる。 私たちは弱い者であるから、突然の病い、生活の変化友人との離別、事故、悲しみなどに出あうと、つい口から疑いとも不満とも思える「どうして!」という言葉が出てしまう。
◎暗誦聖句 使徒行伝二十章三四節全部
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