◆ 神のまこと貴し

        習志野バプテスト教会週報 
        二〇〇〇年五月二八日号 
        ▽賛美と感謝をささげよう

<新会堂献堂(完成)感謝>

ここにおいて我みづから言えり、わが気力うせゆきぬ エホバより何をも望むべきところ無しと。

 ねがわくは我が艱難と苦しみ、いんちんと胆汁とを 心に記め給え。

 わが霊魂は今なおこれらの事を想いてわがうちに鬱ぐ。

 われこの事を心に思い起こせり。このゆえに望みをいだくなり。

 われらのなおほろびざるはエホバの仁愛によりその 憐憫のつきざるに囚る。

 これは朝ごとに新なり、なんじの誠実は大いなるか な。わが霊魂は言う、エホバはわが分なり、このゆえ に我彼を待ち望まん。

 エホバはおのれを待ち望む者とおのれを尋ねもとむる 人に恩恵をほどこしたもう。

 エホバの救いをのぞみて静かにこれを待つは善し。=@          エレミヤ哀歌三章一八〜二六節

 昨年四月以来いくたびエレミヤ哀歌を私たち一人一人の体験・実感・叫びとしたことであったろう。

 献堂記念誌の中には時間の制約で十分の一の証も入らなかった。工事の着工前から毎日書きとめた日誌は信仰の戦いであったことがよく分かる。経済的なことは誰もが直面することであろうが、これは悪魔の妨害、闇の勢力との激しい決闘であった。一日一日が祈りなくして始まらず、祈りなくして次の朝を迎えることは出来なかった。

 日本は法治国家というものの、サタンも「法」をもっていどんできた。主イエスが荒野で悪魔の試みをお受けになった時、サタンは「聖書にこう書いてある」と言って迫ったのであった。

 教会員だけでなく、最近礼拝に加わった婦人のかたがたも大きな助けと励ましをあたえてくださった。それぞれが力に応じ、分に応じて「主の宮」を建てる働きに加わったことをありがたく思う。極度の疲労と緊張が続き、各責任者と奉仕者の間にとがった言葉がとんだことが時々あったようだが、主にあって許し合おうではないか。マサツを乗り越える力はキリストにある愛の結びつきであり、よりよく理解し祈り合うキリストの身体とされよう。主はすべてをご存じであるから。
 

◎ 暗誦聖句     ロマ書一六章一七節
教に背きて分離を生じ、躓きをおこす者に心して之に遠ざかれ。=@  


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