◆ アブラハムの生涯(12)
習志野バプテスト教会週報
◇ 創世記一八章二〇節以下
アブラハムはこの後、四五人、四〇人、三〇人、二〇
アブラハム言う「請う、わが主怒らずして今一度言わしめたまえ、もし彼処に一〇人看えなば如何。」
人間同士のやりとりであったらどうだろうか。二、三回は答えたとしても、数が重なるにしたがって、
ルカ伝一八章一節以下、
「まして神は夜昼よばわる選民のために、たとい遅くとも遂に審き給わざらんや。我汝らに告ぐ、速かに審き給わん。」
ア.自分が正しいと考えるとき。
神様の恵みとあわれみに頼りきる人はさいわいである困難な課題をかかえて祈り続けるとき、神様の愛を学び、忍耐を学ぶことが出来る。その上で神様の正しいさばきにすべてをおゆだねするのである。 人は神に正義≠求める。だが人間はキリストに対して正しいさばきをおこなったであろうか。人がこの世の悪を見て、「神がいるなら、どうして悪人がさかえるのをそのままにしておくのか」と言う。 主その約束を果すに遅きは、ある人の遅しと思うがごときにあらず、ただ一人の亡ぶるをも望みたまわず、すべての人の悔い改めに至らんことを望みて、汝らを永く忍びたもうなり。
家族の救いのために祈りつづけよう。(続く) ■
◎ 暗誦聖句 マタイ伝一章二一節
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