◆ アブラハムの生涯(13)
習志野バプテスト教会週報
創世記一九章一三節、一四節、一七節
ロト出でてその娘をめとる婿らに告げて言いけるは、エホバ町をほろぼしたもうべければ、汝ら立ちてこのところを出でよと。 されど婿らは之をたわむれごととみなせり。・・
人間は「警告」に対して大変にぶい反応を示す。本気にしないことが多いのだ。 おおかみと少年のぐうわを知らない人はいないだろうが、そのポイントは「うそをついてばかりいると誰もあなたの言うことを信じなくなるよ」ということだろう。おろかなる者は罪をかろんず=iしんげん一四・九) 罪の快楽におぼれて、その結果については無とんちゃくである。今楽しければよいというのだ。世界中をあそびまわる日本人にとってエイズの恐怖はよい警報になったと思うが、それでもまだ遊びたらない人がいっぱいらしい。 天災がおそうと人間は神をのろう。神は愛もなさけもない、とののしるのだ。しかし、この例でもわかるように、神さまは前もって何度も警告をあたえておられるのだが、人間はその警告を無視して、タカをくくっているのだ。 いつの時代にも人の悪が極みに達する時、その真の叫びが神に聞かれる。悪が満ちる時、罪がその極みに達した時、神のさばきの時がみちる時である。 汝ら立ちてこのところを出でよ≠ニの警告は今もかわらない。そこにとどまって周囲の悪を変えようとしてみても、無理なときがある。車が平らな道にとまっている時に後から押して動かすことは出来ても、坂道を走り出したら前にまわって押しかえそうとしても無理であろう。悪がみちる時は神さまの裁きにおまかせするのが一番である。 ▽早くのがれなさい。 神の時を見すごしてはいけない
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