◆ アブラハムの生涯(14)
習志野バプテスト教会週報
◇ 創世記一九章九節
信仰の父とよばれるほどのアブラハムと行動をともにしていたロトは、ソドムに居をかまえたというものの、全くこの世にそまってしまったわけでもなかった。 ロトははじめ住居のテントを町の近くにはっていたがやがて町に住み、そしてソドムが彼らの生活をコントロールする力をもっていた。 ペテロ後書二章四節以下八節に記されている、 神は罪を犯ししみ使いたちをゆるさずして地獄に投げ いれ、これを暗闇の穴におきて審判の時まで看守し、また古き世をゆるさずして、ただ義の宣伝者なるノアと他の七人とをのみ守り、敬虔ならぬ者の世に洪水を来らせ、またソドムとゴモラとの町をほろびに定めて灰となし、後の不敬虔をおこなう者の鑑とし、ただ無法の者どもの好色のふるまいを憂いし正しきロトのみを救い給えり。この正しき人は彼らの中に住みて、日々その不法の行為を見聞きして、己が正しき心を傷めたり。 神のみ使いたちはロトにむかって早くソドムをはなれよと警告を発したが、ロトも家族もぐずぐずして、み使いたちをこまらせた(創十九・二二)。安全な場所にみちびかれるのになぜロトたちは、ためらったのであろうか。 ついにロトの妻の悲劇がおこった。警告をかろんじて
神さまのあわれみをかろんじてはならない。昔の日本人は子供のしつけで、「立つより返事」とよく言ったものである。返事をしてからぐずぐずするのも良くないが、呼ばれたらすぐ行動にうつすことは、尊敬と従順をあらわすことではないだろうか。 アブラハムのとりなしの祈は、かろうじてロトと娘たち二人を硫黄と火から救った。だがロトの妻の物欲とこの世のしがらみは彼女をほろぼした。信仰の個人性をここにみる。父がどれほど良い信仰をもっていても子供はその信仰で救われない。血すじによらないのである(ヨハネ一・一三)。 ヨハネ第一の手紙二章十五、十六、なんじら世をも世にある物をも愛すな。人もし世を愛 せば、み父を愛する愛そのうちになし。おおよそ世に あるもの、即ち肉の欲、眼の欲、所有の誇りなどは 御父より出づるにあらず、世より出づるなり。
◎ 暗誦聖句 マタイ伝一章二二節前半
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