◆ アブラハムの生涯(17)

        習志野バプテスト教会週報 
        二〇〇〇年八月二〇日号 
        ▽恵みにより、信仰により救わる
 

▽ 創世記二二章五節以下

…汝らはロバとともにここにとどまれ。我とわらべは彼処にゆきて崇拝をなし、また汝らに帰らん。
 アブラハムすなわち燔祭の柴薪を取りてその子イサクに負わせ手に火と刀をとりて二人ともに行けり。
 イサク父アブラハムに語りて「父よ。」と言う。彼答えて「子よ、我ここにあり。」と言いければイサク即ち言う「火と柴薪は有り、されど燔祭の小羊は何処にあるや。」
 アブラハム言いけるは「子よ、神自ら燔祭の小羊を備え給わん。」と。二人ともに進みゆきて・・

▽ 出エジプト記にも書かれているが、礼拝をする時の場所は大きな意味がある。

パロ、モーセとアロンを召して言いけるは「汝ら行きて国の中にて汝らの神に犠牲を献げよ。」モーセ言う「然するは宜しからず、我らはエジプト人の崇拝む者を犠牲としてわれらの神エホバに献ぐべければなり。我らもしエジプト人の崇拝む者をその目の前にて犠牲に献げなば彼ら石にて我らを撃たざらんや。」
         (出エジプト記八・二五、二六)。

  旧約の時代と新約の時代の大きなちがいは何かを考えさせる事例の一つである。

 モーセの時には礼拝の場所と犠牲とが問題であった。アブラハムが神様に指定された場所は後世にソロモン王が神殿を建てた所である(歴後三・一)。アブラハムがイサクをささげるためには自分の住む天幕内でも出来たことではあるが、神様はご計画を持っておられた、と同時に、人間の弱さをご存知で、周囲の人たちの反対でアブラハムの決意がさまたげられることのないようにおもんぱかられたのであろう。このように礼拝とは非常に個人的な、そして緊密な関わりなのである。

 私たちは今日、どこにいても神様に祈り、礼拝をささげることが出来るようにされた。それはキリストの十字架によることである(エペソ書三・一二、ヘブル書一〇・一九、二〇)。

 アブラハムは自分がこれから何をするのかわかっていたがイサクは何も知らされていなかった。人間の目から見るならば、こんなつらく、むごい旅はなかったであろう。しかもイサクは自分が焼かれるたきぎを背負ってすすむのだ。

 信仰は感情ではない。感情は信仰のあとから(ほとんど時差はないとしても)おこるといえよう。アブラハムは歩きながら、自分の感情と激しく戦ったことがうかがわれる。そして信仰の力は感情に勝った。  (続く)
 

 
◎ 暗誦聖句  マタイ伝三章二節  
汝ら悔い改めよ、天国は近づきたり。
 

                     


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