◆ 勝利への道(1)

        習志野バプテスト教会週報 
        二〇〇〇年九月一〇日号 
        ▽聖書人物にしたしもう
 

 アブラハムの生涯をひとまず休んで私たち自身の生活についてかんがえてみよう。信仰の父といわれたアブラハムの生き方は私たちにどのような変化をあたえたであろうか。敗北から勝利へと歩みをすすめることが出来ているだろうか。

 信仰者の道は細くけわしい。旅は孤独であることがめずらしくない。とはいえ、その旅は一人ぼっちではないのだ。マラソン競争になぞらえたらよいのかもしれない。おのおのが自分の力を考えて走る。伴走者はあなたに直接助けをあたえることは出来ない。トップを目ざす人はいつも孤独とたたかう。

 一人ぼっちになると人は不安をおぼえるようだ。恐れもくる。勝利への道には不安とのたたかいがある。

 神様はアブラハムの末である私たち一人一人に、現在
と将来に対する数多くの約束をくださっている。そして神さまが私たちにくださる約束は、一年を通じて毎日八十五もあるとある学者は語っている。からだの必要から家庭、精神、仕事、勉学、人生のあらゆる問題を網羅している。まさに「エホバ・エレ。」なのである。人間がかかえる「おそれ」にはいろいろあるが、まず恐れ自体をよく知ることが必要である。週を追って謎解きをしていくが、恐れを完全にとりのぞくことは出来ないであろう。なぜなら、恐れは人間の本能の一つであり、悪い面だけでなく良い面をも持っているからである。社会生活の中でとりわけ目につく恐れは、「失敗」することである。やっかいなことにこの恐れは肉体や精神のストレスをおこす原因をつくり出す。

 これまでの社会通念は「成功」に対する絶大な賛辞と失敗に対する冷たい仕打ちであった。エジソンは実験中に失敗をしたとは思わなかった。「それではダメなことがわかった」と考えたのである。失敗は成功のもと、ということわざを信仰の目で見てみよう。クリスチャンにとって大事な考え方の基準は「神様のみ心」を知り、行っているかどうかである。私たちはキリストの義によって神の評価をいただく。

その栄光と徳とによりて我らに貴き大いなる約束を  賜えり、これは汝らが世にある欲のほろびをのがれ、 神の性質にあづかる者とならんためなり。
              (ペテロ後書一・四)。

 聖書が記す成功の例は、必ずしも大事業を成しとげた人物だけではない。ダビデ王、ラハブ(遊女)、ペテロなどそれぞれに人間的弱さをあらわした。この人たちにあったのは神のご命令に従う思いと悔い改めのあかしであった。恐れは除かれ、恵みの座に進んだのである。
 
 

◎ 暗誦聖句  ヤコブ書 一章一三節A
人誘わるるとき『神、我を誘い給うと』言うな。


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