◆ 勝利への道(5)

        習志野バプテスト教会週報 
        二〇〇〇年一〇月八日号 
        ▽神の約束を受けて勝利へ
 

 目先の利益を追い求めるあまり、一番大切なことを犠牲にすることがおおいのは何故だろう?

 金の卵を産むニワトリを殺して一時に大金持になろうとした欲ばりな男の寓話は人間のおろかさを警告するものだ。

 一瞬にして二千匹余の豚を失った豚飼いたちは唯おそれるだけであった。いかにもキリストが人間に危害を加える人とうつったのであろう。世間には同じような見かたをする人が多い。キリストを信じると商売が出来なくなる、とか、教会に行くと献金させられるから損をするなどと考える人たちだ。
神様は人間に何が必要かをご存じであって、はっきりと生活の保証を約束してくださっている。

人は二人の主に兼ねつかうることあたわず、或いはこれを憎み、かれを愛し、あるいは、これに親しみ、かれを軽しむべければなり。汝ら神と富とに兼ねつかうることあたわず。

 このゆえに我なんじらに告ぐ、何を食い、何を飲まんと生命のことを思いわずらい、何を着んと体のことを思いわずらうな。生命は糧にまさり、体は衣にまさるならずや。…

 まず神の国と神の義とを求めよ、さらば凡てこれらの物は汝らに加えらるべし。このゆえに明日のことを思いわずらうな、明日は明日みづから思いわずらわん。一日の苦労は一日にてたれり。=@(マタイ伝六章)

 主イエス、キリストを救い主として信じ受け入れることは決してあなたを不幸にしない。経済的に破たんさせることはない。

 神様のご性質とお約束を考えるなら、信仰によって家庭が破かいされることは大きなムジュンである。どこかに未解決の本格的な罪の問題がある人は失敗をする(使徒行伝五章一ー十一)。

 本当におそれなければならないのは何であろうか。

 出エジプト記にみるようにパロはモーセとの出会いがありながら、目先の利益、自己保全のみを考えて結局大きな破滅をエジプト全土にもたらしてしまった。罪の結果である。

 悪鬼どもはキリストを認め、キリストの前にひざまづき、自分たちに罰を加えないようにと願った。それだけでも住民がキリストの偉大さを認めるべきであったのにその異常な出来ごとの中に神秘性をみるよりも、地上の財産のことに心はとらわれていた。

身を殺して霊魂を殺しえぬ者どもを恐るな、身と霊魂とをゲヘナにて滅ぼしうる者を恐れよ
                  ( 続 く )

◎暗誦聖句
幸福なるかな、心の貧しき者。天国はその人のものなり=@           (マタイ伝五章三節)
 


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