◆ 勝利への道(7)

        習志野バプテスト教会週報 
        二〇〇〇年一〇月二二日号 
        ▽人間の小細工にたよるなかれ

人もし我に従いきたらんと思わば、己をすて、己が十字架を負いて、我に従え。己が生命を救わんと思う者は、これを失い、わがために、己が生命をうしなう者は、これを得べし。
       マタイ伝一六章二四、二五節

若き者よ、なんじら長老たちに従え、かつ皆たがいに謙遜をまとえ。「神は高ぶる者をふせぎ(拒否)、へりくだる者に恵みをあたえたもう」。このゆえに神の能力ある御手の下に己をひくうせよ、さらば時におよびて神なんじらを高うしたまわん。
        ペテロ前書五章五、六節

 主イエス・キリストのお言葉には一見むじゅんをするような表現が多い。この逆説的なつっこみ方が当時の宗教家たちや、学者たちに考えさせ、時には強い攻撃の言葉ともなったのである。

 私たちは聖書を読んでゆくうちに、だんだん自分自身の内側にひそむ肉の思いや弱さを鋭く指摘されて苦しむようになる。時には否定をし、時には反発をし、時にはうなづく。そして確かにこの聖書はこわい本だとわかってくる。

神の言は生命あり、能力あり、両刃の剣よりも利くして、精神と霊魂、関節と骨髄をとおして之をわかち、心の思いとこころざしとを験すなり。また造られたる物に一つとして神の前にあらわれぬはなし、よろずの物は我らがかかわれる神の目の前に裸にて露るるなり。=@
         ヘブル書四章一二〜一三節

 いくら頭から先程読んだ聖句をふりはらおうとしても神さまのお言葉は私たちを追いかけてきてはなれない。逃げようとしても逃げられない状態を、教会では認罪と言う。

 勝利への道は、実は敗北からはじまるのである。

人の心のたかぶりは滅亡に先だち謙遜は、とうとまるることにさきだつ
         箴言一八章一二節

神の求めたもう供え物はくだけたる霊魂なり。
 神よ汝はくだけたる悔いし心をかろしめ給うまじ
         詩篇五一篇一七節

 神の前に自分の弱さを認めることは救いの前提である。人生の勝利を求めるならば神の条件に従わなければならない。

世に勝つものは誰ぞ、イエスを神の子と信ずる者にあらずや=@        
        第一ヨハネ五章五節
 
                 ( 続 く )
 

◎ 暗誦聖句   マタイ伝五章五節
幸福なるかな、柔和なる者。その人は地を嗣がん。
 
 
 
 


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