◆ 勝利への道(8)

        習志野バプテスト教会週報 
        二〇〇〇年一〇月二九日号 
        ▽パウロにならう

 クリスチャンの生活には喜びがないと考える日本人は大勢いる。その理由の一つに、酒もタバコもやらないからだという。ある宗教の人たちはクリスチャンを非人間的であると非難する。だがその宗教団体からは恐ろしいほどの犯罪者が続出している(注・「諸君」誌)。

 クリスチャンの信仰生活には喜びがあることを強調しているのが使徒パウロの書いた「ピリピ人への書」である。
汝ら常に主にありてよろこべ、我また言う、なんじらよろこべ。=i四・四)

 ピリピ書一章一節に聖徒≠ニいう表現が使われている。昔から日本で使われている聖人君子というのとは大分ちがう。

 「きよい目的のために分離されたもの、わけられたもの或るいは、ささげられたもの」というのが原語の意味であるという。罪の力から解放された自由人だ。

 勝利という言葉のひびきはうれしい。そして人間はこの言葉に酔いしれることが多い。この快感をえるために人は一般に「熱心さ」とか「組織」を求めようとするがパウロはキリストにある喜びとまじわりを語った。パウロの説いた勝利は国家の力による征服でもなく、印象的な儀式で人々を圧倒することでもなかった。

 パウロの仲間は貧しく無学で、不完全な働き人が多かった。それにもかかわらず、彼は全世界に福音を語る働らきにおいて勝利者となったのである。私たちは彼の勝利の秘けつを学びたい。

ピリピ書一章五節に注目しよう。
これ汝らの初めの日より今に至るまで福音をひろむることにあづかるがゆえなり

 初代クリスチャンの特徴がここにみられる。そしてピリピ書全体に勝利の鍵がかくされているのである。個人の人生にも教会の歩みにもともに適用できる。

 神のみ言葉と聖霊により結ばれるクリスチャンのまじわりは簡単にくずれるものではない。外敵に対して強い防御力となる。神に対する不信仰・不従順の罪をゆるされた者たちの心の中には、いつも神の恵みに対する感謝の思いがあり、一つ家族の結束をうながす。個人の権勢欲や名誉欲による集合体は絶えず競争がつきまとう。勝者がいれば敗者もいるのだ。恵みは勝利の土台だ。

 キリストに対する信仰は民族・国境をこえて一つの共同体を形づくる。キリスト教には寛容さがない、などと言われることがあるが、信仰の対象に対する信者の愛・服従・献身は親と子の関係のようなもので、他人を自分の親の一人と認めないのと同じだといえよう。非寛容は信仰の優劣の尺度はない。
 

◎暗誦聖句   マタイ伝五章六節  
幸福なるかな、義に飢え渇く者。
          その人は飽くことを得ん。
 
 
 


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