◆ 勝利への道(10)

        習志野バプテスト教会週報 
        二〇〇〇年一一月一二日号 
        ▽良い知らせを全世界に
 

 われ福音のために凡ての事をなす、
  これ我も共に福音にあずからんためなり
         コリント前書九章二三節

 人を自分と同じ宗教にみちびきたいと思うばあい、その動機はいろいろある。

ア、自分と同じ苦しみをもつ人を助けてあげたい

イ、自分が受けたよろこびをほかの人にも持ってもらい同じ仲間としての結束をはかりたい

ウ、誰かを折伏することで自分の先祖の霊が救われると思う

エ、人に伝道しないと自分の救いが完成されない
オ、神様の愛を伝えたい

カ、神様への感謝をあらわす一つとして

キ、神様の命令だから

 まだほかにもあるだろう。たとえば講のようなお金もうけの動機からという集団もある。自分のための伝道と、ほかの人のための伝道では大きなちがいが出てきて当然である。動機を判断しよう。

 使徒パウロは神によってえらばれた。ユダヤ人以外の人たちに神のみ言葉とイエス・キリストの救いをのべ伝えるためである。と同時に彼は自分自身がどんなに大きな神の愛によって救われ、毎日ささえられているかを証言した。福音を伝えることは彼のよろこびであった。それは義務以上の特権と考えたのである。

それ人の子のきたれるは、失せたる者をたずねて救わんためなり=@   ルカ伝十九章十節

 主イエス・キリストのお心を自分の生涯の指針として、身をささげたパウロにとって、キリストのご用をさせていただくことは喜びであった。

我らは神とともに働く者なれば、神の恵みを汝らがいたずらに受けざらんことを更にすすむ。
    コリント後書六章一節

 全知全能の神とともに働くとは何というスケールの大きさ、偉大な事業であろうか。これは特権である。

 パウロほどに種々の迫害、苦しみを受けた伝道者は多くいない。石やムチの刑を受け、旅行の難も一度だけではなかった。そんな苦しみの中でパウロを慰めたのは何かといえば、「神とともに働く者」、「主イエス・キリストの十字架を全世界に伝える責任」の自覚であった。人間は弱い。しかし、私たちが仰ぎみている救い主キリストは何者にもまさる力の強い神である。神にさからっては永続的な勝利がない。クリスチャンはよわよわしく見えるかもしれないが、キリストにしっかり結ばれている限り、勝利を約束されているのだ。
                  ( 続 く )
 

◎ 暗誦聖句   マタイ伝五章八節
幸福なるかな、心の清き者。その人は神を見ん。
 


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