◆ 勝利への道(15)

        習志野バプテスト教会週報 
        二〇〇〇年一二月一七日号 
        ▽御言葉の学びで心に暖を

兄弟よ、我はわが身にありし事のかえって福音の進歩の助けとなりしを汝らが知らんことを欲するなり。即ち我が縄めのキリストのためなることは、近衛の全営にも、他のすべての人にもあらわれ、かつ兄弟のうちの多くの者は、わが縄めによりて主を信ずる心を厚くし、おそるることなく、ますます勇みて神の言葉を語るにいたれり。
     ピリピ一章一二〜一四節

 私たちの信仰は、毎日さまざまな形でためされる。

 赤ちゃんが大きくなる過程でその体力、筋力がためされるのと同じだ。自分で試すこともあれば、外部の力で試されることもある。

 寒いからといって、赤ちゃんを着ぶくれにしてカゼをひかないように育てるならば、かえって弱くなるであろう。もともと赤ちゃんの体温は高く、動きまわるのに最良のコンディションを神様があたえておられるのだから外気にふれることがあってもおそれることはない。

 あなたの信仰が、温室にかくまわれた花のようであったら強くならない。自分の肩に荷物を負って登山をするように、自分自身で問題にぶつかる必要がある。

人もし我に従いきたらんと思わば、己をすて、己が十字架を負いて我に従え=iマタイ伝一六章二四節)
とキリストはおおせになった。

なんじの荷をエホバにゆだねよ、さらば汝をささえたまわん。ただしき人のうごかさるることを常にゆるしたもうまじ=i詩篇五五篇二二節)

日ごとにわれらの荷をおいたもう主、われらの救いの神はほむべきかな=i詩篇六八篇一九節)

 人間はぜいたくなもので、なかなかこれで良いと満足しない。環境がかわると不平を言いがちである。

 学者の調査によると、人間の一生には四〇回ほどの危機場面があるという。伴侶との別れを百とするなら、離婚は七三、失業四七、親友の死三七、子供が親元を離れて進学をする時二九などの割り合いで、一年の間に二百点をこえると情緒的な異常を来たすという。

 聖歌の四七六番はH・スパフォードが愛する家族を海難で失い、悲しみの中にあってなお、キリストのなぐさめをいただいて作った賛美だという。

 使徒パウロは獄にとらわれたが、冷たくじめじめしたろう獄も彼の心の中にある感謝とよろこびの歌声をうばいとることは出来なかった。彼は主キリストの大いなる約束を確信して日々の経験を重ねた。大小さまざまの試練も彼を強めこそすれ、くじけさせることはなかった。神の善意と保護を信じて感謝しようではないか。
 
                 ( 続 く )
 

◎ 暗誦聖句      マタイ伝五章 六節  
 


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