◆ 勝利への道(16)

        習志野バプテスト教会週報 
        二〇〇一年一月一四日号 
        ▽汝の口を広くあけよ
           詩篇八一篇一〇節

なんじら思いを同じうし、愛を同じうし、心をあわせ、思うことを一つにして、わが喜びをみたしめよ。何事にまれ、徒党また虚栄のためにすな、おのおの謙遜をもて互いに人を己に勝れりとせよ。おのおの己が事のみを顧みず、人の事をも顧みよ。汝らキリスト・イエスの心を心とせよ。即ち彼は神のかたちにて居給いしが、神と等しくある事を固く保たんとは思わず、かえって己を空しうし、しもべのかたちをとりて人の如くなれり。=@          ピリピ書二章

 私たちの信仰生活からよろこびをうばいとろうとする力がある。使徒パウロはまず、「環境」をとりあげた。自分がおかれた状況に対して順応性をもつとか、悪い環境の中にあっても、神様の摂理とうけとめて最善を求めて努力することをすすめている。

 次にとりあげたのが、ピリピ書二章における「人間関係」である。人間は生きるかぎり対人関係で苦しむのである。どんな社会にも良い人と好かないタイプの人がいるものだ。

 平気で人の気にさわることを言っておきながら、「あの人はじょうだんもわからない。」とか、「人づき合いが悪い。」などという人がいる。かと思うと、非常に自分勝手、わがままな言動で周囲の人にめいわくをかける人がいる。婦人集会でも話題になったが、学校のPTAなどに出席するとこの人間関係に少なからず疑問をもつようだ。悪い意味での日本人的消極性がムキ出しになってしこりを残すことになる。

 トラブルの原因となるのは、「あの人はやりたいんだから、やらせたら?」というような陰口であったり、「目立ちたがり屋ね。」というような批判であったりする。しかも「私だったらあんなことをしないのに。」という批評家的な無責任発言となる。

 根底にあるのは何だろう?

 使徒パウロは、愛と一致、そして謙遜こそ人間関係に大切であるとすすめている。愛は高ぶらず≠ニ書いているが、自己ぎせい、思いやり、自分中心でないことなどが鍵である。

キリスト・イエスの心を心とせよ≠ニ強調されている点に注目しよう。家庭においてどのようにいかされるであろうか。職場や学校ではどうだろう?人間のプライドや「自我」が頭をもたげると不幸な争いが始まる。私たちの生活、行動の目あてがキリストであるならば、人間関係のむずかしさも克服出来ると教えているのである。

 私たちをかこむ人たちが良くなるように求めるよりもまず自分自身が神様によって変えられることを祈ろう。
                  ( 続 く )

 
◎ 暗誦聖句   黙示録二章一〇節後半
なんじ死に至るまで忠実なれ、
  さらば我なんじに生命の冠を与えん。=@           


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