◆ 勝利への道(19)
※No.18は欠番です。 習志野バプテスト教会週報
一〇年以上前のことだが、リクルート問題が国会でもちきりであった。新聞の特集などで取りあげられたのが、R社の新人類的発想と倫理の軽視であった。 当時、日本の各層でR社のやり方が批判されたのだが、こうした問題は現在でも同じである。その根底にあるのが人間生来の欲望であり、生存競争に名を借りた自分本位の生き方である。箴言から警告を聞こう。 君に媚ぶる者は多し、おおよそ人は贈り物を与うる者 の友となるなり。=@ (一九・六) 欺きとりし糧は人にうまし。されど後にはその口に 砂を充されん。=@ (二〇・一七) 事の全体の帰するところを聞くべし、いわく、神を おそれその誡命を守れ。これはすべての人の本分たり。
使徒パウロはピリピ書二章三、四節で教えた。何事も人間の肉の力によって、肉の野望によってなすべきではない。人の前における高ぶりは、神との関係において謙遜が欠けていることをあらわすとパウロは言う。 「自分」に力を注ぐことのかわりに、信仰者は他の人たちの利益に心を用いるべきであるというのが四節である。「そんなことを言っていたら社会のペースにあわせて生きられない」
然し、これは神様のみ言葉であるから実践する時にだけ理解出来る真理である。信仰は頭で理解を求めるよりも、毎日の生き方の中に聖書の教えを実践するほうが早く喜びを手に出来る。 クリスチャンのよろこびをうばうものの第三は、肉である。ピリピ書三章を読もう。 肉の割礼ある者に心せよ。=@ (三・二) 神の御霊によりて礼拝をなし、キリスト・イエスによりて誇り、肉を恃まぬ我らは真の割礼ある者なり。=@(三・三) ユダヤ主義者は割礼に重点をおいて、信仰(キリストに対する)を持とうとしなかった。唯信仰のみによる救いということを理解出来ずに、律法の働らき、すなわち自分の善行をつけ加えようとして、神の救いから遠のいてしまったのである。 人間の力で神様の救いを求めようとしたり、神様をおよろこばせしようと思っても出来ないことだ。 ■
◎ 暗誦聖句 黙示録二章一九節B
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