◆ パウロの生涯(12)
               
        習志野バプテスト教会週報 
        二〇〇一年五月二〇日号 
        ▽黙示録を読もう

 私たちは、どのように時を買いもどせるのであろうか。
日本のある有名なデパートの経営者が年老いて病床にあった時に言ったという。

 「青春をもどしてくれるなら全財産をあげてもいい。」
貧富の差を問わず、時間はすべての人に公平にあたえられている。要はその使い方である。若い時に快楽を追い求めて時間を無駄にすごすのも人生なら、勉強をして将来にそなえるのも一つの生き方である。ではどちらが幸福なのだろう?真の生きがい、目標、価値についてはどうであろうか。

一粒の麦、地に落ちて死なずば、唯一つにてあらん、もし死なば、多くの実を結ぶべし。己が生命を愛するものは、これを失い、この世にてその生命を憎む者はこれを保ちて永遠の生命にいたるべし。
             ヨハネ伝十二・二四、二五

 パウロはコロサイ人への手紙三章、ロマ書六章、そしてガラテヤ書二章、五章において「時をあがなう」実際的なヒントを与えている。

「上にあるものを求めよ。〜思え、死にたる者、キリストの生命、みたまによりて歩め」を熟読しよう。

されど前に我が益たりしことはキリストのために損と思うにいたれり。しかり、我はわが主キリスト・イエスを知ることのすぐれたるために、すべての物を損なりと思い、彼のためにすでに凡ての物を損せしが、これを塵芥のごとく思う。=@ ピリピ書三章七、八節

 サウロの人生は復活の主キリストにおあいした時点を境として前と後では大きく分けられる。単にサウロという名前からパウロに名前が変わっただけではない。それまで彼が誇りに思っていた学問、宗教、この世の財産、名誉、地位、人間関係、その他すべてのものが価値を失い幸福の基準ではなくなってしまったのである。

 彼はイスラエルの血すじであり、生まれてすぐ割礼を受けた。名門ベニヤミンの部族であり、ヘブル人の中のヘブル人、熱心、且つ厳格なパリサイ派で宗教活動をしていた。律法を守ることに熱心であり、この世の最高の学問も身につけていた。それら全ての誇りを捨てた。

 アグリッパ王のさばきの前でパウロは言っている。「主言い給う、『我は汝が迫害するイエスなり。…我な んじをこの民および異邦人より救わん、又汝を彼ら に遣し、その目を開きて暗きより光に、サタンの権 威より神に立ち帰らせ、我に対する信仰によりて罪の 赦と潔められたる者のうちの嗣業とを得しめん』」。

◎ 暗誦聖句  マタイ伝五章一四節
 


本ページへの問い合わせは ruthdick@mtj.biglobe.ne.jp までお願いします。