◆ パウロの生涯(13)
               
        習志野バプテスト教会週報 
        二〇〇一年五月二七日号 
        ▽自分で聖書を読む
 

 サウロは自分自身の力では神の基準に達することが不可能であることを自覚していた。彼の血統も、宗教的な熱心さも、神の裁きの前では何の役にも立たないことをさとった。

 律法を完全に守ることによって神によろこばれようとしたサウロは十字架につまずいた。ところがこの十字架こそ律法の義を全うする神からの救いの方法であることを学んだのである。

 真理は彼の霊魂を自由にした。きびしい戒律に奴隷となっていたものが、自分の力ではなく、キリストが開いてくださった方法によって、神に近づき、神の子供とされることを体験したのである。律法は彼を苦しめた。それは人間の不完全さ、けがれ、罪、弱さなどを徹底的に自覚させたのである。律法には救いがないことを知った(ロマ三・二〇)。 

 キリストの十字架は神の恵みである。人間の一切の行いを排除し、ただ神の恵みにより罪の赦を受けることをみる。

功なくして神の恵みにより、キリスト・イエスにあ る贖罪によりて義とせらるゝなり<鴻}書三章二四節

 太陽の光は北風にまさった例話を想起させる。

我らは真理にさからいて能力なく、真理のためには能 力あり。=@       コリント後書一三章八節

 熱帯雨林に関係するテレビ番組や新聞の特集記事が取りあげられるようになって久しい。公害という言葉を耳にしたのは過去のことで、今は地球規模の汚染ということが言われている。一時やんだ「毎度おなじみの古新聞、古雑誌……」という古紙回収のスピーカーは大幅に減少したが、ここへきて再び聞こえるようになってきた。

 家庭用品、電気製品等でも修理に出すと高くつくからと言って新しいものを買うようにすすめる。受験戦争と同じで、誰かがそれに反対し、とめなければならないと思うのだが、自分だけ損をするのもつまらないということになる。リサイクル運動にも問題がないわけではない。

 地球規模で考えるなら、資源には限りがあることは分かりきったことであるのに、全く物資を大切に扱おうとしない現在の日本を見ると空恐ろしい。「もったいない」と言えば笑われる。神様に対するおそれも愛もない国民は、ただ自分のことだけ考える。自分の利益だけを考えて行動する。旧約時代のイスラエル各王朝に似たところがある。自分の世代に神のさばきがこなければ良いではないか、という近視眼的生き方である。

 人間は自分の知恵で幸福を生みだしているだろうか。神様からあたえられた資源をただ食いつぶし、荒廃を生み出しているにすぎないのではあるまいか。

世は己の知恵をもて神を知らず。この故に神は宣教 の愚かをもて、信ずる者を救うをよしとしたまえり=@      
     コリント前書一・二一(続)

◎ 暗誦聖句マタイ伝五章一七節前半  
われ律法また預言者をこぼつために来れりと思うな。 こばたんとて来らず、反って成就せんためなり。=@                                                     


本ページへの問い合わせは ruthdick@mtj.biglobe.ne.jp までお願いします。