◆ パウロの生涯(18)
習志野バプテスト教会週報 二〇〇一年七月一日号 ▽み言葉に生きよう こんな世代を見ていると私たちの責任の重さを痛感する。心にゆとりがない子供。スケジュールに穴があいたら何をしていいかわからない生活。次の塾へ行くまでの数分で結論を知りたい子供たちには現代のマンガがよいのだろう。
使徒パウロは常に喜びを持って生きた。生命の危険の中にあっても喜びを証した。彼は外の事情がどのように変化をしても独立≠オていた。この独立ということはキリストを信頼して心の安らぎを保っていたということである。誰も、どんな事情も彼の心を支配している平安をうばうことは出来なかった。真のクリスチャンは不常な経験や困難に直面しても耐えることが出来るようにされる。マンガの世界にこれがあるだろうか。人から、あるいは異星人から何かを得ようという幻想にひたっていると、神様がくださる訓練や摂理に対して反抗的になり、やがては卑くつな人間になるであろう。
ピリピ書四章八節、九節をよく考えてみようではないか。 日本人が大好きな言葉の一つに「幸福」という文字があるという。なるほど流行歌や詩にはこのテーマが大変多く含まれている。 人の名前を考えるとよくわかると思う。その年の有名人とか、すばらしい働きをした人の名前が新生児につけられる。「さち子」という名前が女性に大変多い。テレビ小説の主人公に「和子」というのが多いが、これも日本人の大好きな言葉の一つである和という字である。 主イエス・キリストの弟子パウロは人間の本当の幸福について多く書いている。若い伝道者テモテへの手紙の一節にもふれられているし、ピリピ人への手紙にも書かれている。 幸福はどこにあるのだろうか。 神様を信じない人に幸福があるだろうか。ヴォルテールという不信者は死期をむかえて、「私は生まれてこなければ良かったのに!」と書いている。 バイロンは誰よりも快楽を求めてすごした人だが、快楽の中に彼の霊魂の安らぎはなかった。「虫けら、騒音そして悲しみが私のもちものだとは!」と。 (続く) ◎暗誦聖句 マタイ伝五章二〇節 我なんじらに告(つ)ぐ、汝らの義(ぎ)、学者・パリサイ人に勝(まさ)らずば、天国に入(い)ること能(あた)わず。
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