◆ パウロの生涯(20)
               
        習志野バプテスト教会週報 
        二〇〇一年七月一五日号 
        ▽すべての全き賜物は光の父より
        (使徒九章十節)
 
 
バルナバは聖霊と信仰とにて満ちたる善き人なればなり。ここに多くの人々、主に加わりたり。
 
 かくてバルナバはサウロを尋ねんとてタルソに行き、彼にあいてアンテオケにともないきたり、二人ともに一年の間かしこの教会の集会(あつまり)に出(い)でて多くの人を教う。弟子たちのクリスチャンととなえらるることはアンテオケより始まれり。
 使徒行伝一一章二四〜二六節
 
 バルナバとパウロは共に異邦人伝道に向かったが、バルナバの信仰にみちた歩みはパウロのはげましであった。
 
 ルカはバルナバについて「聖霊と信仰とにて満ちたる善き人」と高く評価を記している。心理学者のウィリアム・ジェイムズは「私たちは出会った人すべての一部である」と言うが、まさにパウロの生涯もそれであったと思う。それを考えると私たちも友だちをえらぶことの大切さを認識しなければならないと思う。
 
聖歌六一四番に曰(いわ)く、
 
「友をえらべ こころして
 言う言葉にも 敬虔(けいけん)なれ
 考え深く ことをなし 真実こめて 
 主にたよれ 日々祈りもて
 主にこいまつれ 
 なが力なる 主のたすけを」 
 
 青年時代には誘惑が多い。仲間はずれになりたくないために、つい良くない場所や酒の席にすわってしまうこともあろう。「みんながやるから」というのは正しくない。必ずしもみんなではない。小さなグループ内では、と言いかえてみよう。真実な友を求めよう。
 
    ◇   ◇   ◇
 
 バルナバが初期の教会でどれほど神様におつかえしたかは使徒行伝四章以下を読むと察しがつく。彼がパウロの異邦人伝道を理解し協力したことは特記すべきことであろう。

 使徒行伝を書きしるした医者のルカは、そのことを「聖霊と信仰とにて満ちたる善き人」という言葉にまとめている。使徒たちは皆聖霊にみたされたのであるが、バルナバのように財産を持っていた人物が献身をして聖霊にみたされていたということはそれだけでも周囲に感化をあたえずにはおかなかった。

 しかも信仰にみちた人という時、積極的に新しい働き、あるいは計画を推進するにあたって、神による希望を強く抱いていたということをうかがわせるのである。「少年よ、大志を抱け」という有名な言葉が日本にもあるが、信仰があってはじめて可能になることなのだ。

 
信仰なくしては神によろこばるることあたわず、そは神にきたる者は、神のいますことと神の己を求むる者に報(むく)いたもうこととを、必ず信ずべければなり。
  (ヘブル書一一章六節)。
 
        ( 続 く )
 
 
◎ 暗誦聖句 マタイ伝五章一八節
 
 

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