パウロの生涯(二四)
               
        習志野バプテスト教会週報 
        二〇〇一年九月二日号 
        ▽いざ投げよ、救いのつなを

 

彼らが主につかえ断食したるとき聖霊言いたもう、「わが召して行わせんとする業(わざ)のためにバルナバとサウロとを選(えら)び別(わか)て」。ここに彼ら断食し、祈りて二人の上に手を按(お)きて行かしむ。この二人、聖霊に遣(つかわ)されてセルキヤに下(くだ)り…。
   使徒行伝一三章二〜四節
 
 クリスチャンの世界には一般に聞きなれない言葉や表現がいくつかあるので、聖書はむずかしいといわれるのであろう。大半の用語は説明できるが、信仰によって受けとめなければならない教えもある。聖霊についての理解は聖書から学ぶことによって深まり、信仰によって確かめられる。
 
 聖霊のお働きは、人間にキリストを明確に教え示されることである。聖霊は罪の世から人を召し出し、分離し、福音を伝える者としてお遣(つかわ)しになる。聖霊は真理でないものを判別なさり、反キリストの霊とたたかい、さばきをなさる(使徒一三章一〇節)。
 
 信仰そのものが実践であって単なる知識でないのと同様、聖霊のお働きも自分自信を神様に明けわたさなければ内面的な理解とはならない。
 
 サウロ、またの名はパウロ(一三・九)が聖霊に満(み)たされていたことのしるしは何であったか。
 
ア.教会は断食をして祈った。そして聖霊に従った。
イ.バルナバとサウロはよろこんで神につかえた。
ウ.パウロは霊的な判別力をあたえられた。
エ.パウロは罪を責めることを恐れなかった。
 
 聖霊のおとり扱いを受けたパウロだからこそ、ガラテヤ書に次のように書くことが出来たのである。
 
汝らもし聖霊に導かれなば、律法(おきて)の下にあらじ。それ肉の行為(おこない)はあらわなり。即(すなわ)ち淫行(いんこう)・けがれ・好色・偶像崇拝・呪術(まじない)・怨恨(うらみ)・紛争(あらそい)・嫉妬(ねたみ)・憤(いきどう)り・徒党・分離・異端・そねみ・酔酒(すいしゅ)・宴楽などのごとし。
 
 我すでに警(いまし)めたるごとく、今また警(いまし)む。かかることを行う者は神の国を嗣(つ)ぐことなし。されど聖霊の果(み)は愛・喜悦(よろこび)・平和・寛容・仁慈(なさけ)・善良・忠信・柔和・節制なり。=@    
 ガラテヤ書五章一九〜二三節
 
 クリスチャン一人一人が聖霊にみたされて神の証人となるには、キリストの愛の中に生きなければならない(ヨハネ伝一五章五節)。神の約束を確信する(ヤコブ書一章五〜七節)。求める(マタイ伝七章七節)。キリストの苦しみにあづかる覚悟(ペテロ前書四章一二〜一四節)。 
 心が冷たくならないように警戒しよう(エペソ書四章)。      ( 続 く ) 
 
 
 
◎ 暗誦聖句  ルカ伝一〇章二七節 『』内
 

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