◆パウロの生涯(三五)
               
   習志野バプテスト教会週報 
   二〇〇一年一一月二五日号 
   ▽教会=キリストのからだ
 
 

 夜半(よなか)ごろパウロとシラスと祈りて神を賛美するを囚人(めしうど)ら聞きいたるに、
  使徒行伝一六章二五節

 昼間ならいざしらず、真夜中に賛美を歌う姿も異様であれば、さんざんムチでうたれて傷だらけの身体の「囚人」たちが、平和な顔つきをしているのも驚きであったろう。

  とつぜん、大きな地震が牢(ろう)をゆるがせた。恐怖の声をあげる囚人、牢番の中で、この二人は平然としていたのだ。

 信仰の真価は人間の危機場面に発揮される。人間の本当の姿も同様ではなかろうか。青年男女が生涯の相手をえらぶ時、楽しいプランの時よりも、人生の危機場面でどのような言動を示すかで判断するとよいだろう。

  パウロは死も生命もすべて神の御手にあるとゆだねきっていた。環境の変化、人間関係の困難さ、生死の間をさまよう時にあなたの信仰、人生観がためされる。

 獄守(ひとやもり)、燈火(ともしび)を求め、かけ入りて戦(おのの)きつつパウロとシラスとの前に平伏(ひれふ)し、之をつれ出(いだ)して言う。『君等(たち)よ、われ救われんために何をなすべきか。』

 二人は言う『主イエスを信ぜよ、さらば汝 も汝の家族も救われん。』

 かくて神の言(ことば)を獄守(ひとやもり)とその家におる凡(すべ)ての人々とに語れり。

 この夜、即時に獄守かれらを引取(ひきとり)て、その打傷(うちきず)を洗い、遂(つい)に己(おのれ)も己に属する者もみな直(ただ)ちにバプテスマを受け、かつ二人を自宅に伴(ともな)いて食事をそなえ、全家と共に神を信じて喜べり。
   使徒行伝一六章二九〜三四節

 使徒行伝はおどろくべき記録である。事実は小説よりも奇なりという言葉があるが、どの章も人間の想像をこえた神の力の記述でいっぱいである。神に対する偽りの信仰はさばかれ、神の力を金で手にしようとする者は退けられ、神の敵対者であった者が神の福音の宣教者となっている。

  使徒行伝の記述はイエス・キリストの復活を再確認させる神のみわざである。私たちは全能の神を信じ、従い、愛するようにされたのであるから、私たちも毎日の生活を通して神のみわざを証言しつづけることが必要である。

 どんなに小さいことでも神様に祈って祈りを聞いていただく時、私たちは復活の主 の愛とあわれみ、能力(ちから)を学ぶのである。

  今すぐ信じようとしないお友だちや家族のために祈りつづけよう。

                                     つづく

 ◎ 暗誦聖句 マタイ伝六章二五節後半
 

 

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