◆パウロの生涯(三七)
               
   習志野バプテスト教会週報 
   二〇〇一年一二月一六日号 
   ▽神様の時を考えよう
 
 聖書の理解に際して、「みんながそう言うから」ということは必ずしも正しい基準ではない。いわゆる民主的解釈などはない。あくまでも聖書自身の基準を受け入れなければならないのだ。

 日本人はこの「みんなが……言っている」という表現が大変好きな人種のようだ。たとえ自分一人の考えでも「みんなが…」と使うことによって相手を説得しようとする。日本人の「仲間はずれにされたくない」という心理の弱点をつくのだ。
 

信仰は聞くにより、聞くはキリストの言葉による。=@     ロマ一〇章一七節
 
 ベレヤ地方のクリスチャンは良く聖書を勉強したと記されているが学び方には確かに悪いやり方もあるのだ。
 
彼らの中(うち)には人の家に潜(もぐ)り入りて愚かなる女を虜(とりこ)にする者あり……
 常に学べども真理を知る知識に至(いた)ること能(あた)わず。彼()の者らはヤンネとヤンブレとがモーセに逆らいし如(ごと)く、真理に逆らう者、心の腐(くさ)れたる者、また信仰につきて棄()てられたる者なり。
              テモテ後書三章六〜八節
 
 主イエスの教えを直接受けていた一二人の弟子たち全てが同じように真理の伝播者となったかというとそうではなかった(ユダの裏切り)ということを考えても、人間の受けとめ方によって大きな違いがあるとわかる。
 
若き人は何によりてかその道をきよめん、聖言(みことば)にしたがいて慎(つつし)むのほかぞなき。=@詩篇一一九篇九節
 
 神のみ言葉は人間にさまざまな影響をあたえる。
 
ア.人間に罪を認めさせる(ネヘミヤ記八章九節) 
イ.間違いをただす(詩篇一九章九節) 
ウ.キリストの救いを受け、成長していくことの確信 (ヨハネ八章三一節) 
エ.信仰者をととのえる(箴言二二章二一節) 
▽ 私たちは聖書に書かれているみ言葉を通して真の神様を知ることが出来る(ダニエル書一一章三二節)。 

▽ 聖書を通して神様のみ心を知らされる(詩篇 一四三篇一〇節)。
 

 私たちは神様のご計画を学び、人間の生き方を学ぶのである。人類の歴史を通して神様の働きを見つめ(申命記三二章七節)、一人一人の人生に働かれる神様のみわざを学ぶのである(詩篇一三九篇一四節)。
                 ( 続 く )
 
 

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