◆パウロの生涯(三八)
               
   習志野バプテスト教会週報 
   二〇〇二年一月一三日号 
   ▽神とともに歩む年に
 
 
 使徒行伝一七章一六節
 
パウロ、アテネにて彼らを待ちおる間(ほど)に、町に偶像の満ちたるを見て、その心に憤慨(いきどおり)を懐(いだ)く。
 
 歴史に登場するギリシャは政治、宗教、文化、スポーツなど多様な影響を世界にあたえてきた。オリンピックとか、星座にまつわる神話など、今にいたるまで続いている遺産がある。アテネの人々は芸術・文化を好んだ。数多くの彫刻をつくって楽しんだ。

 彼らは直接それをおがんだわけではなかったが、パウロは偶像であると看破した(出エジプト二〇章四、五節)。きざまれた像は神々と深い関連をもっていたのである。使徒パウロは心をいため、同時にはげしい怒りにみたされた。

 
 私たちが町を歩くとき、霊的な眼をもって周囲を見ることがあるだろうか。目に入ってくるものを慢然ととらえて忘れてしまう。そんなに無感動、無関心になってよいのだろうか。学校の子供がゴミだらけの部屋で勉強をすると更にゴミをおとしてゆき、清潔な部屋で教えられるならゴミを捨てることが少なくなるという。
 日本のようにいたるところ、石像やら木像がまつられているのを見ていると私たちはそれに慣らされて、あらためてそのことを考えようともしなくなってしまうのではないか。デパートの屋上にも店内にもいろいろな宗教の像がまつられている。現代建築の粋をこらすようなビルにも何らかの宗教的な影響がひそんでいる。

 持主の信仰だからそれはそれでいいではないか、と考える日本人だから、八百(やお)よろずの神々をおがむ民族とさげすまれてしまうのだ。日本の風土は偶像崇拝を容認し、最高裁判所においてさえ世界に類を見ないほど宗教的暗愚をさらけ出しているのである。使徒パウロがこの時代の日本に生きたならばどんな大騒動をおこすことだろうか。彼の心は真の神をないがしろにする人間の罪に対してはげしい憤りをおこした。

 
アテネ人よ、我すべての事につきて汝らが神々を敬う心の篤(あつ)きを見る。われ汝らが拝(おが)むものを見つつ道を過()ぐるほどに「知らざる神に」と記したる一つの祭壇を見出したり。されば我汝らが知らずして拝む所のものを汝らに示さん。
   使徒一七章二二、二三節
 
 当時既にエピクロス派(快楽主義)とストア派(禁欲主義)の人たちが活発であった。ストア派には自殺をする者が多かったと文献は記録している。こうした二つの代表的な流れは今日にいたっても存続している。
 
 クリスチャンは唯おとなしいだけという評価はあたらない。使徒パウロの聖なる怒りに学ばなければいけないであろう。しかも非暴力の形において。
     ( 続 く )
 
 ◎ 暗誦聖句   マタイ伝五章四一節 
人もし汝に一里(いちり)ゆくことを強()いなば、共に二里ゆ け。
 

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