◆パウロの生涯(三九)
習志野バプテスト教会週報 二〇〇二年一月二〇日号 ▽「山にエホバ備え給わん」 日本はかつてないほどに海外旅行やレジャーを楽しむ人が増加をしているという。ほんの十数年前までは日本の観光名所といわれる所は外国からの観光客で大にぎわいであった。どうしてあんなに遊ぶお金があるのだろうと不思議に思った日本人は多い。
昨年九月半ば以降減ったとはいえ、日本人観光客は世界中にあふれているというのだからお金の力はおそろしい。遊ぶことをしらない大店の息子が突然歓楽街に放り出されたような格好で、アンバランス(不均衡)なぜいたくを楽しんでいる。 二昔前までは「もったいない」という言葉は美徳の一つをつくる言葉と考えられていたと思うが、今は見むきもされない。かえって「こんなものがあるから家が狭くなる!」と怒られる始末である。 『せまい日本、なぜいそぐ?』という交通標語があるが、いろいろなことに応用が出来そうな表現である。
使徒行伝一七章一八節にあるエピクロス派について少し考えてみよう。私たちの身辺にある生き方によく似ている思想だから。エピクロス(三四一〜二七〇年BC)は人間の主要な目的を快楽と幸福にあると説いた。過度になることと、死の恐れをさける。 そのためには人間を愛し、心の平静さと、苦痛からの解放を求める。たとえ神々が存在したとしても人間には何のかかわりもないことだ、と説いた。今の世界の姿は無神論と不信仰によって墓穴(ぼけつ)を掘(ほ)る愚かな金持のようだ。 使徒パウロは一七章において神のご性質を明らかにし、また人間との関係について説き明かした。 神はかかる無知の時代を見過(みすご)しにし給いしが、今は 何処(いずこ)にても凡(すべ)ての人に悔改(くいあらた)むべきことを告げ給う。=@ 使徒行伝一七章三〇節 神は人類のごうまん不遜(ふそん)な態度を忍耐しておられるばかりか、キリストをおつかわし下さって救いの道を開いてくださった。 人は快楽に生き破滅を刈りとるか、神を畏(おそ)れ人間としてふさわしい生き方をするか選択しなければならない。 それ罪の払う価(あたい)は死なり、されど神の賜物(たまもの)は我らの主キリスト・イエスにありて受くる永遠の生命なり=@ ロマ書六章二三節 ( 続 く )
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