◆パウロの生涯(四〇)
               
   習志野バプテスト教会週報 
   二〇〇二年一月二七日号 
   ▽福音を全ての人に
 
使徒行伝一八章一〜四節
 
この後パウロ、アテネを離れてコリントにいたり、アクラというポントに生まれたるユダヤ人にあう。クラウデオ、ユダヤ人にことごとくロマを退(しりぞ)くべき命(めい)を下(くだ)したるによりて、近頃その妻プリスキラと共にイタリヤより来(きた)りし者なり。
 パウロそのもとに至りしに、同業なりしかば共に居()りて工(わざ)をなせり。彼らの業(ぎょう)は幕屋つくりなり。かくて安息日ごとに会堂にて論じ、ユダヤ人とギリシャ人とを勧(すす)む。
 
 パウロが訪れたコリントは政治・商業・海軍の盛んな市でアテネと力を競った。宗教的には愛の女神アフロデト崇拝で知られ、道徳的たいはいの温床ともなった。
 
 使徒パウロの異邦人伝道は彼一人の力ですすめられたわけではなかった。聖霊のお導きと助けは言うまでもないが、彼を背後で支え、はげまし、なぐさめる協力者がいたのである。

 その中でもひときわ輝いていたのがアクラとプリスキラであった。この二人については四つの書簡に言及されているほどだ。

 
 パウロが伝道でつかれて帰った時、多分プリスキラはごちそうを用意して慰めたであろう。汗とほこりにまみれた衣服を洗ったり、部屋のそうじなどにも心をくばったのではあるまいか。男性は日頃家にいないので家庭の主婦の仕事を余り理解出来ない。ご主人が仕事に出かけたあと、大した仕事もしないで楽でいいな、などと思ったりする。たまに夫人が家をるすにすると、雑用の多いことにおどろく。三度三度の食事の献立を考えるだけでもわずらわしいことである。
 
 教会の掃除や洗いもの、そのほか小さく見える奉仕でも一つ一つが大切なのである。プリスキラにならおう。
 
 アクラとプリスキラの働らきについてみよう。使徒行伝のほかにロマ書一六章、コリント前書一六章、テモテ後書四章などにもこの夫婦のことがふれられている。使徒パウロと同業の天幕づくり(皮細工人)というと現代人は何となく仕事自体を軽くみるのではないだろうか。当時の学者たちは学問だけでは生活費がみたされなかったので、天幕づくりや皮細工を職業としたようだ。 
 パウロもアクラもその意味では同業であったばかりでなく、手を動かしながら聖書の話に夢中になることもあったであろう。とくに機会あるごとに福音を語ってきたパウロの体験談はこの夫婦にとって大きなはげましであったろう。諸教会に手紙を書くときにもパウロは身近にいるこの夫婦を投影したのではないだろうか。(続く)
 
 ◎ 暗誦聖句 マタイ伝五章一四節
 

 
 

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