◆パウロの生涯(四三)
               
   習志野バプテスト教会週報 
   二〇〇二年二月一七日号 
   ▽農夫に学ぶ種まき

使徒行伝一八章八節以下

 

会堂司クリスポその家族一同と共に主を信じ、また多く のコリント人も聞きて信じ、かつバプテスマを受けたり。 主は夜まぼろしの中に言いたもう。「おそるな、語れ、 黙すな、我なんじとともにあり、誰も汝を攻めてそこ なう者なからん。この町には多くのわが民あり。」

 

 五〇年以上も前の頃、「不幸の手紙」なるものが日本中をかけめぐった。一〇年前にも再び「不幸のはがき」ということではやった。手紙を受けとったら同文の手紙を一週間以内に二〇人の人に発送するようにとあり、それをしなければ不幸がくるというのだ。現代はパソコンを通じて数百人、数千人にEメールが発信される。人間はこの種のおどかしに大変弱い。そんなことがあるはずはない、とわかっていながら、つい手紙を書いてしまう人が多い。

 

 神様の福音は良いしらせである。一人でも多くの人に伝えるべきものだ。人間を幸福にする福音だが、人は余り積極的に聞く耳を持たない。クリスポは使徒パウロの話を聞いて感激をした。よろこんで家族をよびあつめて救いのあかしをした。良いものは家族みんなで分けようという例である。

 

 不道徳と不信仰で知られたコリントの人たちもおおぜい救われた。これは奇蹟ともいえる大きな出来ごとだった。こんな人は絶対救われないだろうといわれた人たちが次々と回心をしてバプテスマを受けたのである。

おそるな、語れ。

 

パウロは神様から強いはげましのみ言葉をかけられた。

 

我なんじと共にあり。

 

何と力づよいお言葉であろう。神様のごりんざいを確信したパウロは更に伝道を続けた。

 

エホバは善なる者にして艱難(なやみ)の時の要害なり。彼は己 に依頼(よりたの)む者を良く知りたもう。=@

ナホム書一章七節

 

されど人もし神を愛せば、その人、神に知られたるなり。

        コリント前書八章三節

 

我なんじの名を呼べり。=@ イザヤ書四三章一節

 

されど神のすえたまえる堅き基はたてり。これに印あ り。記していう、「主おのれの者を知りたもう」。

       テモテ後書二章十九節

 

 天地万物の創造主に知られることは何と感謝なことか。

    (続く)

 

 

◎ 暗誦聖句  マタイ伝五章四六節

汝ら己を愛する者を愛すとも、何の報いをか得()べき 。 取税人も然(しか)するにあらずや。

 

 


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