◆パウロの生涯(四五)
               
   習志野バプテスト教会週報 
   二〇〇二年三月三日号 
   ▽神と共に働く
 
おそるな、語れ、黙(もく)すな、我汝とともにあり、誰も汝を攻めて害(そこな)う者なからん。この町には多くの我が民あり
        使徒行伝一八章九〜一〇節
 
セールスマンの入門書によく引用される話がある。
 
 南方の某国へ靴を売るために派遣された二人のセールスマンがいた。一人のセールスマンは数ヶ月の後に意気消沈して会社へもどってきた。別の人も戻ってきた。二人の言い分は正反対だった。
 
A「あの国の人はみんなハダシで靴などはきません。いくら売ろうとしても誰も相手にしてくれません。ムダでした。」
 
B「あの地方では私が出会う人みんなハダシでした。靴を売る相手は数えきれないほどです。靴を大量に運んでください。すぐ品切れになりますから。」
 
 私たちは伝道がむずかしいと思うと弱音をはいてしまい、「ここは、私の働く場所ではない。神様のみこころは別の場所、別の仕事です」と逃げてしまわないだろうか。

 日本は仏教国、インドネシアはイスラム教、インドはヒンズー教、だからキリスト教の伝道は不可能だと考えてしまいやすい。でも神様は宣教師を通してそうした国にも福音を広めておられるのだ。

 
 コリントは邪悪でみだらな性風俗の市であったが、そんな町にでも真の神様をよび求める人がいたのだ。堕落した町だからこそ餓えかわいた霊魂がいるのではないか。このことは現代にも通じることだ。
 
なんじ御言(みことば)を宣()べ伝えよ、機(おり)を得()るも機(おり)を得()ざるも常にはげめ=@    
    テモテ後書四章二節
 
 使徒パウロはここに一年半とどまり伝道した。使徒パウロは神の約束を信じて宣教し、たしかな改心者を多くあたえられた。熱心な伝道が続けられるとき、反対もつよくなる。
 
 四国で伝道しておられる伝道者の報告を読むと心が痛む。まるで仲間の中に裏切り者がいるかのように詳しく、執拗に、行く先々でビラやポスターでの中傷が続けられているらしい。
 
 当時の有名な哲学者キケロの兄ガリオは公正な判断をしてパウロをかばった。異邦人の中にも法を守る人物がいたのだ。人間の心には正義を求める渇きがある。だが彼はソステネに対する暴行をとめようとしなかった。
 
 ケンクレアはコリントの東部にある港であった。この地でパウロは髪を剃った。ユダヤの社会では請願をして成就した時に感謝の思いで髪をそったといわれる。多分パウロはコリントにおける宣教の成果を感謝したのであろう(『キリストの証人』S・C)。
                 ( 続 く )
 
 ◎ 暗誦聖句 箴言二七章五節明白(あからさま)にいましむるは秘(ひそか)に愛するにまさる
 

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