◆パウロの生涯(四六)
               
   習志野バプテスト教会週報 
   二〇〇二年三月一〇日号 
   ▽神と共に働く

神のみこころならば復(また)なんじらに返らん

     使徒行伝一八章二一節
 
 使徒パウロはコリントを離れてシリアに向かった。エペソでプリスキラとアクラに別れた。一六章六節をみると、パウロは初めアジア(エペソがある)に伝道をしたいと願ったが聖霊に禁じられたとある。エペソでの滞在は短かかったが、彼の第三次伝道旅行の時には二年間とどまり教え、宣べ伝えた(使徒行伝一九章一〇節)。
 
 彼はエルサレムを訪ねたいと切望し、更に彼を送り出した宣教的な教会であるアンテオケに行くことを願った。エルサレムの教会は世界宣教のいわば拠点であった。霊的なホームグラウンドであった。教会で安否を問うたあと、アンテオケの教会にしばらくとどまった。これが最後のアンテオケ訪問となった。
 
 しばらく留まってから、彼の第三次宣教旅行が始まった。今日のように交通手段が発達している時代ではない。今でさえ、私たちは旅行に際しては薬、着がえ、洗面道具、少々の飲食品を持ってゆく。二千年前の旅は危険も多かっただけでなく、使徒の生命をねらうユダヤ人集団がすきをうかがっていた。
 
 パウロはガラテヤ、フルギヤ地方のクリスチャンをはげまし、その信仰を堅くした。一人一人の信仰の確立をめざしたパウロの働きはガラテヤ人への手紙にあらわれているという。陸路エペソへの道は二四〇〇キロメートルほどだ。
 
 異邦人伝道のために召されたパウロは私たちの想像を絶するような苦難を経験した。まず自分の同族による危害、投獄、ムチでうたれたこと多く、死にのぞんだこともしばしばであった。石でうたれ、破船にあったことは三度、川の難、盗賊の難、同族の難、異邦人の難、荒野の難、海上の難、偽兄弟の難、不眠不休、断食、凍え、裸など(コリント後書一一章二三〜二八節)。
 
 水は上から下へ、一番流れやすい道を通って流れるが神様におつかえする伝道者は安易な道を選んではならないことを使徒の働きから学ぶ。私たちの世代はどうであろうか。宣教師のご苦労を思うと批判めいたことは言えないが、私たちを含めて考えるべき点、反省すべきことがあるのではないだろうか。今の快適な生活、便利さを外国でも同じように味わおうとする誘惑はないだろうか。
 
 ケーリー、ジャドソン、リヴィングストウン、モリソン、テーラー各宣教師の歩んだ道を読むと全身がふるえる緊張感をおぼえる。彼らはパウロにならったのだ。
 
 私たちもパウロにならって言おう、「主のみこころならば行き、あるいはとどまり、従おう…」と。
 
 

◎ 暗誦聖句 マタイ伝一五章二八節『 』内
『おんなよ、汝の信仰は大いなるかな、願いのごとく 汝になれ』∞


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