◆パウロの生涯(四七)
習志野バプテスト教会週報 二〇〇二年三月一七日号 ▽主の証人となろう (アポロ)かしこに行き、既(すで)に恩恵(めぐみ)によりて信じたる 者に多くの益を与う。即(すなわ)ち聖書に基(もとづ)き、イエスのキリ ストたる事を示して、激甚(ていた)く且(か)つ公然(おおやけ)にユダヤ人(びと)を言い 伏(ふ)せたるなり。=@
人が救われるのはキリストの言葉による。
人を導くのに神学校を卒業しなければならないということはない。神様のみ言葉を正しく理解し、人に教えるためには、それなりの祈りと学びが必要であるが、救いを得るために神学校へ行かなければいけないということはない。聖書をよく勉強している信徒は、牧師や伝道者にとって大きな助けである(使徒行伝一八章二六節)。 私たちが伝道をする時、聖書を中心にお話をすすめてゆく。ロマ書一章から三章を中心にお話をすすめると良いと言われる。人間の罪の状態、神のあわれみ、キリストの身代わりの死、人間の良い行いや正しい行いではなく、キリストの十字架を通してだけ救いがあるということを示さなくてはならない。 アポロはプリスキラとアクラの夫婦によって旧約の預言がイエス・キリストによって成就したことを学んだ。平信徒でありながらパウロと同じように天幕をつくって生計をたてていたこの夫婦は、惜しみなくアポロのためにも時間をさいて説(と)き明かした。 それにより、アポロは強く確信を持つにいたった。自分の経験とか話し方ではなく、神様の約束のお言葉をどのように受けとめるかが問題である。百パーセント受け入れるか、五〇パーセントしか受け入れないかでへだたりは大きい。 信仰の世界では中間がない。熱いか冷たいかであって、なまぬるい状態は最悪である(黙示録三章一五、一六節)。興味深いことは、アクラとプリスキラの名前が前後入れかわっていることである。 テントづくりで生計を立てていたアクラよりも家事を担っていたプリスキラの方がみ言葉を学ぶ機会が多かったのかもしれない。とくにパウロが共に生活をしていた期間、日頃の疑問を遠慮することなしにたずねて教えを受けたのである。 男性はその点、女性に負けるかもしれない。「こんなことを聞いたら恥ずかしい」とか、「もう少し自分で考えてみよう」といってチャンスを逃がしてしまうのである。 真理の全体像は、小さな鍵を一つずつはずしていって突然、目の前が明るく開くものだ。プリスキラの熱心さと、アポロに取りついだ時の態度はぜひ見ならいたいところである。 聖言(みことば)うちひらくれば光をはなちて愚かなる者を さとからしむ。=@
◎ 暗誦聖句 マタイ伝六章一節前半
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