◆パウロの生涯(五〇)
習志野バプテスト教会週報 二〇〇二年四月一四日号 ▽恵みの高嶺をめざして **主のことば、大いにひろまる** 悪霊こたえて言う「われイエスを知り、又パウロを知る。されど汝らは誰ぞ」かくて悪霊の入りたる人、 彼らにとびかかりて二人に勝ち、……彼ら裸になり傷を 受けてその家を逃げ出でたり。このことエペソに住む 凡てのユダヤ人とギリシャ人とに知れたれば、おそれ彼 ら一同の間に生じ、主イエスの名あがめらる。=@ 使徒行伝一九章一五〜一七節 使徒パウロが悪霊につかれた人に出あったことは使徒行伝一六章にも詳述されている。その時は占いの霊につかれた奴隷の少女であった。主イエスも悪霊を追い払って苦しみのとりことなった人たちを救われた。 普通ではない出来事を見ると人はおどろき、恐れをもつ。神様のなさるみわざは人人に主イエスをあがめさせるのである。更にこのような事件は他の連鎖反応をひきおこす。当時、クリスチャンとなった人の中にもエペソ古来の魔術にたよる人がいたようである。私たちは育ってきた環境に知らず知らずの中に染まってしまうことがあり、何かのきっかけがないと過去のじゅばくから解放されるのがむずかしい。 私たちは捨てることを惜しんだり、善悪とも合わせて持っていようとすることがある。日本の古くからの因習に浸り、クリスチャンとなってからもそのつながりを絶ちきれず、ずるずると引きもどされていく人がある。その例が町会の祭りだとか、葬儀にあらわれる。 真の宗教は悪い書物を放棄する≠ニベンゲルという学者は書いている。この頃は現在私たちが本屋で簡単に買う本とは全く事情がちがっていた。本はすべて手づくりであって、大変高価なものであった。 銀五萬というのは、五〇〇〇日分の給料に価するといわれる。一三〜一四年分の給料にひとしい高価な霊(魔術)の本を家家から運びだしてきて惜しげもなく人人の前で焼いたのである。背水の陣をしくというが、シーザーは兵隊たちが戻れない(敗退)ようにのってきた船を焼かせたといわれる。 われ汝の行いを知る、汝は冷ややかにもあらず熱きに もあらず、我はむしろ汝が冷ややかならんか、熱からん かを願う。かく熱きにもあらず、冷ややかにもあらず、ただぬるきが故に、我汝をわが口より吐(は)きいださん。
自分たちが長年頼りにしてきた魔術の本を焼き、一心に神に従い、おつかえするとき、それぞれの人生は大きく変えられ、信仰者の力があきらかにされるのである。 詩篇一一九篇一二七節、箴言八章一一節を味わおう。
◎ 暗誦聖句 エレミヤ三三章三節
|