◆身代わり
               
   習志野バプテスト教会週報 
     二〇〇二年五月五日号
     ▽主のみ心の中に育つ
 

"キリストの愛われらにせまれり。"
             コリント後書五章一四節

"神は罪を知り給わざりし者を我らの代に罪となし給えり、これ我らが彼にありて神の義となるをえんためなり。"
    コリント後書五章二一節

  聖書の中でもっとも重要な聖句のひとつです。

 千葉には、佐倉惣五郎という有名な人の記念がありますが、キリストの場合とは全く異なることに気が付くでしょう。

神=聖

キリスト=義、罪のないおかた

人間=罪のとりこ、奴隷

人間=犠牲、

罪のまま、死、贖い(身代わり)の必要

神の聖さと義の満足
 

人間の罪とは何でしょうか。それは、恥の文化といわれるような、人間対人間の「体裁」ではありません。だから、誰もほかの人を罪の裁きだといって村八分にすることは出来ません。

"さればすべて人を裁く者よ、汝言いのがるるすべなし、ほかの
人をさばくは、まさしく己を罪するなり。人をさばく汝も自ら同じことを行えばなり。"
        ロマ書二章一節
 

人間の罪とは…

ア…とが(一線をこえる)

イ…罪(まとを外すこと)

ウ…不義(あるべき姿からの逸脱)

エ…いつわり
 

そして、罪の本質は、自己中心です。

 現代の不幸、あらゆる階級闘争などが、自己中心に根ざして
いないでしょうか。歴史家トインビー氏の言うように、人類はこの自己中心からぬけることなくしては、生き続けることが出来なくなるでしょう。

 主イエス・キリストは、ご自身を犠牲にして十字架を負ってくだ
さいました。それは、自己を捨てる生き方でした。イエス様の死を通して、その十字架には身代わりによる「ゆるし」と、罪のけがれを「おおいかくす」ことと、罪を「帳消し」にする道が開かれたのです。

"狭き門より入れ、ほろびにいたる門は大きく、その道は広く、 これより入る者おおし。"
     マタイ伝七章一三節

"そのうたれし傷によりて我らはいやされたり。"
     イザヤ書五三章五節
 

◎ 暗誦聖句 詩篇一八篇三〇節
"神はしもその途またく、エホバの言葉はきよし、
 エホバはすべてより頼む者の盾なり。 "
 
 


本ページへの問い合わせは ruthdick@mtj.biglobe.ne.jp までお願いします。