救いの中心…あがない
               
   習志野バプテスト教会週報 
     二〇〇二年五月一二日号
     ▽キリストの愛、母の愛
 
 

"我らの過越(すぎこ)しの小羊、すなわちキリスト
すでに屠(ほふ)られ給えり"
           コリント前書五章七節

"視(み)よ、これぞ世の罪を除(のぞ)く神の小羊"
           ヨハネ伝一章二九節

"キリスト聖書に応じて我らの罪のために死に"
           コリント前書一五章三節

"おおよそ律法(おきて)によれば、萬(よろず)のもの血をもて潔(きよ)めらる、もし血を流すことなくば、赦(ゆる)さるることなし"
           ヘブル書九章二二節

"彼は我らの咎(とが)のために傷つけられ、我らの不義のために砕かれ、自ら懲罰(こらしめ)をうけて、我らに平安(やすき)をあたう。そのうたれし傷によりて我らは癒(いや)されたり"
           イザヤ書五三章五節

"今我らに和睦(やわらぎ)を得させ給える我らの主イエス・キリストに頼(よ)りて神を喜(よろこ)ぶなり"
            ロマ書五章一一節

"その血をもて我らを罪より解放(ときはな)ち"
            黙示録一章五節

"汝らは恵みにより、信仰によりて救われたり、これ己に由(よ)るにあらず、神の賜物(たまもの)なり"
            エペソ章二章八節

 今、世界的な傾向として終末に対する不安と恐れから眉唾(マユツバ)の宗教がはびこり出しています。それと同時に、キリスト教の真理を借りて、全く別のキリスト教的宗教を熱心に布教している人たちが多くいます。一般に異端(いたん)とよばれるものです。

 キリスト教の中心、福音の中心は何かというなら、贖(あがな)いにあります。

 日本の活発な異端の例をあげると、クリスチャン・サイエンス、エホバの証人(=ものみの塔)、モルモン、統一原理、そして近代主義です。

 間違った教えの大半は、神様に対する考え方、そして
人間の罪、キリスト、聖書の霊感などの重要教理を曲解
している点にあります。

 例えばモルモン教は、アダムを神と考えます。クリスチャン・サイエンスは、罪をアダムの夢と説きます。ものみの塔は、キリスト教に類似点が多く、熱心であり、一番人々をまどわす恐れが強いです。統一原理でも、同じことですが、韓国人「文鮮明」は、自分を再臨のキリストと称し、キリストの十字架の死は神の失敗(路線変更)であったと断定します。

 聖書は、キリストの死が、世のはじめから神の御旨で
あったと記します。私たちの神に対する不信仰、不従順の罪を身代わりとなって負ってくださり、神の聖(きよ)さ、
義(ただ)しさを満足させる唯一の方法でした。罪と贖(あがな)いは必然です。旧約聖書のレビ記八章、一六章、そして新約聖書のヘブル書をぜひ通読していただきたいと思います。

 「あがない」とは、血をもって罪をおおいかくすこと、代価を払って和解をすること、さらには、身代わりを意味することです。キリストの血は、決して悪魔に支払われたものではなく、神ご自身の聖さ、律法の要求するところであったことを学ぶとき、献身をあらたにします。
 
 
 
 

◎ 暗誦聖句 エペソ書五章一七節
"この故に愚(おろか)とならず、主の御意(みこころ)の
如何(いかん)を悟れ。 "
 
 
 
 
 


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