◆新しい生き方
               
   習志野バプテスト教会週報
      二〇〇二年六月九日号
     ▽儀文は人を殺し、霊は人を生かす
 
 クリスチャンの生活は、考え方の根本的な入れかえです。
 
 使徒パウロはコリント後書五章一七節に、次のように書いています。
 
人もしキリストにあらば、新(あらた)に造(つく)られたる者なり、古きは既にすぎ去り、みよ新しくなりたり。
 
 また、次のようにも語っています。
 
またこの世にならうな、神の御意(みこころ)の善にして悦(よろこ)ぶべく、かつ全きことをわきまえ知らんために、心をかえてあらたにせよ。
       ロマ書一二章二節
 
汝ら心すべし、恐(おそら)くはキリストに従わずして人の言伝(いいつたえ)と世の小学とに従い、人を惑わす虚(むな)しき哲学をもて、汝らを奪い去る者あらん。=@
       コロサイ書二章八節
 
 私たちは、いろいろなクセをもっているもので、なくて七クセと言われるほどです。口ぐせ、手くせ、足くせにはじまって、四八クセにもなるのです。クセは、そのように目につく外面的なものばかりではないのだそうで、私たちの精神生活の面においてもクセとなる、感情的なクセモノがあるといいます。
 
 朝、目がさめると、開口一番、「いやな天気だなあ!」 「今日もまた、ゆうつな日になるなあ…」 「今朝も、会社へ行きたくないなあ。」


 などと自分の心に言いきかせる人がいて、自分で自分を困らせるといいます。しかもその感情的なクセは、はつらつとした青年さえも、「やる気をなくさせる」やっかいな病気を引きおこしてしまいます。

 
 私たちは、自分が一日の中で何を求めていこうとするかを、毎日決めなければならないのです。積極的な生き方であるか、それとも消極的な行き方かを、毎朝自分に言いきかせなくてはなりません。
やたらに押し寄せてくる不安、焦り、心配、おそれなどをどうしてふせいだらよいのでしょうか。
 
 明朝、目がさめたら、次のように自分に言いきかせるのが良いでしょう。
 
「主イエス・キリストは、私を救ってくださいました。神様は私に、今日も素晴らしい事をしてくださいます。

我を強くし給う者によりて、凡ての事をなしうるなり(ピリピ書四章一三節)。

神様ありがとうございます。あなたの復活の生命が今日も働いてくださり、御栄えを拝することが出来ますように。」

 
 単に自分に言いきかせるだけであれば、自己暗示にすぎないのですが、信仰によって、神様から新しい力をいただくのです。


「最悪の事態に備えよ、そして最善を待ちのぞめ。」                (B・ジョウンズ)
 祈って願い求めるのと同時に、常に最悪の事態に備えをしつつ、神様の保護、摂理を確信して、一日一日を生きていく。それが新しい生き方なのです。  ◎ 暗誦聖句 マタイ七章一二節  さらば凡て人にせられんと思うことは、人にもまた その如くせよ。これは律法(おきて)なり、預言者(よげんしゃ)なり。
 


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