◆真の神を知ろう(一)
               
   習志野バプテスト教会週報
    二〇〇二年六月一六日号
   ▽若い日に造り主を心に 
 
色めがねでみるという表現があります。
 
 ありのままのすがたを見ようとしないで、なにかの先入観をもったまま、自分の考えをはさんでものを見ることです。
 
 毎日の生活でもこうしたことはよくあるのではないでしょうか。隣に越してくる人にたいして、職場の同僚にたいして、誤解している場合があります。実情を知らないで、一方の言い分だけをきくことによる場合が多いのです。
 
キリスト教についても、同じことが言えると思います。
 
☆ 教 会 ☆

 薄暗い礼拝堂。正面には十字架についたキリスト像。そして、その下には明り燈がともり、信者がひざまづいて祈っている姿。かげでは、オルガンの静かな音が流れている荘厳なふんいき。次々と入ってくる信者は、ネクタイ、背広を着た男性、着飾った女性。

 
 しかし、実際はちがいます。とくに、バプテスト教会においてはまったくちがうのです。そこには、生気にみちたはつらつさ明るい会堂、元気なさんび、いろいろな服装をした人々。

 わたしたちの教会は青年だけでなく幅広い年齢層があり、人生経験の長い人もおられます。職種では、工員、教員、公務員、事務員、学生、主婦といろいろです。とても業種をあげきれませんが、一番少ないのは、商人ではないでしょうか。日曜日にお休みできない日本の社会を、反映しているようです。商人では教会に行けないというのではなく、行こうとする前に計算してしまう利欲のために、足が遠のくのではないでしょうか.

 
☆ 強 制 ☆

 教会では、出席者になにかを強制的にやらせることがあるのでしょうか。ない、といえばうそになるでしょう。たとえば、静かに説教をきくこと、お祈りの時におしゃべりをしないこと、教会内でタバコをすわないことなど。けれども、奉仕、献金、伝道のことなどで強制することはありません。
 

 最近、再びマスコミで話題になっている宗教活動に「エホバの証人」、「原理運動」というのがあります。これは自称キリスト教ですが、そのなかみは聖書本来のキリスト教とは全く違うものですから注意して頂きたいと思います。
 教祖みずからが再臨のキリストと称している原理運動は、キリスト教の異端です。彼らは、信者になった学生を「かんづめ」同様にして伝道させるということです。故郷の両親が心配するのも無理はありません。

 正しいキリスト教は、よりよい家庭人、よりよい学生、よりよい社会人を育てるものです。しかし、それは一週間やそこらでなるものではありません。目標にむかって進んではいますが、時間と訓練と経験が必要なのです。

 一年前と現在を比べていただきたいと思います。あるいは三年前の生活とを。はっきりとしたちがいにお気づきでしょうか。どうかこの小誌をお手元にお送りしているあなたの家族、友人を見つめていただきたいと思います。

 


◎ 暗誦聖句  ヨハネ伝一六章二四節汝ら今までは何をも我が名によりて求めたることなし。求めよ、さらば受けん。而して汝らの喜悦(よろこび)みたさるべし


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