◆真の神を知ろう(二)
               
   習志野バプテスト教会週報
   二〇〇二年六月二三日号
   ▽神様の基準を物さしに 
 

☆ しきいが高い ☆ 

 
 教会に行ってみたいがどうも、しきいが高くてね、という人がいます。
 
 勿論これはひとつのたとえであって、実際にはそれほどしきいが高いわけではありません。
 
 一体何が日本人の生活からかけはなれた感じを与えるのでしょうか。

(外国の宗教)

 
 キリスト教は外国の宗教だからという人たちが、日本古来の宗教を信じているでしょうか。少なくとも仏教徒は違います。外国のものなら何でも悪いというのはあたりません。わたしたちの生活には、日本以外のものが、たくさんあるではありませんか。正しい教え、正しい道は世界中の人々が信じて従う価値があるのです。
 
 父、母を敬うこと。人のものを盗まぬこと。隣人を愛すること。すべての道徳。人間の正しい生き方は、聖書に教えられています。人間のあるべき姿の基(もとい)は神様が教えてくださったものです。

☆ 禁欲主義 ☆

 
 クリスチャンになると「……すべからず」という禁制があるからいやだ、自由がない、という人も多くいます。教会には行くが、クリスチャンにはならないというのです。
 
なんぞ…「さわるな、味わうな、ふるな」という規(のり)の下にあるのか。これらのいましめは…実は肉欲のほしいままをふせぐ力なし。=@コロサイ書二章二二節
 
兄弟よ、汝らの召されたるは、自由を与えられんためなり。=@         ガラテヤ書五章一三節
 
 なぜ私たちは、酒もタバコも飲まないのかときかれます。その答は、「それらなしに十分よろこびがあるから」といえます。酒やタバコをやめられない弱い人間であるからこそ、神の救いが必要なのです。飲むこと、食べることは決して人間を救う道具ではないのです。やめたから教会へ行けるのではありません。救われたからやめることができるのです。

☆ 清き水 ☆

 
「世の中は清いことだけでは生きていけません。きれいごとだけではなく、ニゴッた水も必要だ、『清き水には、魚すまず』というでしょう。」と、いわれます。ああ友よ、濁った水はノドの渇(かわ)きをとめるでしょうか。汚れた水は病気をなおせるでしょうか。清い水があるからこそ、濁った水の中にもがいていても、希望があるのではないでしょうか。
 
 
 
◎暗誦聖句  マタイ伝六章一六節前半

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