◆真の神を知ろう(五)
               
   習志野バプテスト教会週報
   二〇〇二年七月一四日号
   ▽キリストに全ての重荷をゆだねよう
 
「あがない」について、もう少し考えてみましょう。
 
聖書を貫く思想を簡単にいうと、


一、人間は神の前にあって罪人である。

一、神は真理であり、聖いお方である。そして生命の源

であられる。


一、罪に汚れた人間が神の聖(きよ)さに照らされるとき、当然、神のさばきが知らされる。しかし、神の愛が、ご自身を犠牲にすることによってあらわされた。それが、キリストの十字架の死であった。御子イエスは、神と人との橋わたしとしての役をなしてくださった。

一、人間は自分の努力では救われない。ただ信仰により、 イエスを自分の救い主と言いあらわす。同時に、自分 の罪を捨てて、キリストの姿に似るようにつとめる。

一、神は、悔いる魂をあわれんでくださり、神の救いに あずからせ、神の家族の一員として永遠にかたく守っ てくださる。

…ということになるのです。

 
「教会にいってもいいが、罪という言葉が多すぎて不愉快になる。」という人がたくさんいます。「もっとやさしい愛についてとか、人間の幸福について話さないと誰も教会に足をむけなくなる。」という人もあります。
 
 医者は、糖尿病の患者に、「どんどん甘いものを食べなさい。病気のことなど忘れなさい。」とか、ガンの患者に、「ほっておけば自然に治りますよ。」などというでしょうか。
 病気の原因を知ることが、医者の急務でありましょう。見たてちがいはおそろしいものです。でてくるウミを拭いても、完全な治療とはいえません。やはり、原因(もと)を治さなければならないのです。
 
 みなさん、私たちは、あなたの秘密をあばいて喜ぼうというのではありません。よく言うように、「誰でもたたけば少しはホコリがでる」のです。ああ、その人間のホコリこそ、誇りであり、ゴミなのです。神さまの前に立つことのできないはずかしさを与える病気なのです。
 
 牧師は心の医者です。あなたの秘密を人に口外することはありません。イエス様は、心の医者であるばかりか、肉体の医者でもあり給うのです。偉大なる医者イエスさまは、こうお話になりました。
 
「健(すこや)かなる者は医者を要せず、ただ病(やまい)あるもの、これを要す。我は正しき者を招かんとにあらで、罪人を招かんとて来(きた)れり。」

「凡(すべ)て労する者、重荷(おもに)を負う者、 われに来(きた)れ、われ汝らを休ません。」

 
私たちを罪の力から、そして悪魔の力から引き出して、自由なる者、幸福なるものにしてくださるのはキリストだけです。


◎ 暗誦聖句
    マタイ伝六章二四節A
人は二人の主(しゅ)に兼事(かねつか)うること能(あた)わず。
                       


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