◆真の神を知ろう(六)
習志野バプテスト教会週報 二〇〇二年七月二一日号 ▽大空は創造のみわざをあらわす ☆ 神さまとはどんなお方ですか ☆
伝道集会などに招かれて地方へ行くことがありますが、集会のあとでよく聞かれる質問がこのことです。 神さまについて何も知らないということと、無神論とは同じではありません。学生の中には、「ぼくは無神論者だから…」という表現を「信仰する人たちほどバカじゃない、もっと知性のある人間なのだ。」という露骨な表現と置き換えて使っているような人もいます。 神さまがいるかいないかわからないという人もいます。本気でそう思っているのでしょうか。 その故は、神につきて知りうべきことは、彼らに顕著(あらわ)なればなり、神これを顕(あらわ)し給えり。それ、神の見るべからざる永遠の能力(ちから)と神性とは、造られたる物によりて世の創(はじめ)より悟りえて、明らかに見るべければ、彼ら言いのがるる術(すべ)なし。神を知りつつも、尚(なお)これを神として崇(あが)めず、感謝せず、その思いは虚(むな)しく、その愚(おろか)なる心は暗くなれり。自ら智(かしこ)しと称(とな)えて愚となり、朽(く)つる事なき神の栄光をかえて、朽(く)つべき人および禽(とり)獣(けもの)・はう物に似たる像(かたち)となす。 ロマ書一章一九〜二三節 また神を心にとむるを善(よ)しとせざれば、神もその邪悪(よこしま)なる心のままにすまじきことをするに任(まか)せ給えり。 ロマ書一章二八節 ☆ 神さまは何をおつくりになったか ☆ ある英語のバイブルクラスで神の創造を学んでいると、一人の学生がさけびました。 「神は神をつくりだしました!」 信仰がわかってきたと思っていた学生の口からとびだした言葉ですから、宣教師がビックリしたのも無理はないでしょう。 長野県の善光寺に、「かぎさがし」の地下回廊があります。まっくらな廊のどこかにカギがぶらさがっていて、そのカギに一度手がふれれば幸福になれるというのです。
人間は、こうして人間のつくり出した心のはかない望みを、抱こうとするのではないでしょうか。 神さまを知ることはむずかしいことですが、全くダメだということではないのです。 汝らもし一心をもて我を索(もと)めなば我に尋(たず)ね遇(あ)わん エレミヤ記二九章一三節 智者いずこにかある、学者いずこにかある。この世の論者いずこにかある、神世の知恵をして愚(おろか)ならしめ給えるにあらずや。世は己の知恵をもて神を知らず、この故に神は宣教の愚(おろか)をもて信ずる者を救うを善しとし給えり。ユダヤ人は徴(しるし)をこい、ギリシャ人は智恵を求む。されど、我らは十字架につけられ給いしキリストを宣べ伝う。 コリント前書一章二〇〜二三節 神さまに対する畏(おそ)れをもって聖書を読み、イエス・キリストのご生涯を調べるなら、必ずあなたは神さまを知る事ができます。 ◎ 暗誦聖句 マタイ伝六章二四節後半
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