◆クリスチャン生活(一)
習志野バプテスト教会週報 二〇〇二年九月二九日号 ▽心と身体の健康増進を クリスチャンの生活とは、どんなものを言うのでしょうか。
人それぞれに個性があり、クセがあり、育ってきた背景のちがいがあります。そして日々の生活にも当然、ちがいが出てくるようです。これから何回かにわたって、現代に生きるクリスチャン像を一緒に考えてみましょう。 私たちは、えてして、自分を正当化しようとします。そこで牧師が聖書を通して指導し、励まそうとすると、自分の弱さや欠点を隠そうとしていらいらしだします。これから逃げないで考えましょう。救いは、まず自分の罪を認めることからはじまったことを、思い起こそうではありませんか。 「今の自分」は決して神様に満足される者ではないことを率直に認めましょう。キリストの生命こそ価値を生み出すのです。 あなたの健康管理はうまくいっているでしょうか。神様がきよめてくださった食物を、あれこれ好き嫌いを言って家族を困らせていないでしょうか。 一般の食品店で売られている食品のなかに、十種類以上嫌いな食物があるとしたら、自分の努力がいるのではないでしょうか。もちろん、アレルギーをおこすようなものなどは別にしてです。だいたい一〇人位の人と好き嫌いを比べてみましょう。 「神様、今日も一日の食物を下さって感謝します。」と祈るのであれば、食卓にのぼるものを食べてみましょう。イスラエルの民は、不平を言ったために荒野で四〇年も同じ食物を食べなければなりませんでした。生きるのには、それしかなかったのですから。 日本にいる宣教師の大半が海苔(のり)とか納豆、生卵、刺身、味噌汁などで苦しんだようです。日本人が好んで出す羊かんとか、しるこも苦手の人が多いです。宣教師は何とかして日本人と同じになりたい祈りをもって、こうしたものを口にします。そして、やがて米国に帰ってからも、日本の食物が恋しくなるということです。 あなたの「気分」コントロールは、うまくいっているでしょうか。落語のこごとこうべいのような惨めな生活を送っていないでしょうか。いつも自分で自分の気持ちを抑えることができない人は、もっとも惨めな生活をします。 その理由は、心の中心にイエス様をお迎えしていないから、自分自身の無力さの奴隷となってしまうのです。あなたの心は毎日、雷雨の連続でしょうか。 口数の少ない人もいますし、にぎやかな人もいます。問題は、言葉の数ではなく、その言葉を言うときの心の状態です。いつも自分中心に考える人は不幸です。あなたの身近な人に、思いやりの心をもちましょう。
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