◆クリスチャン生活(二)
     習志野バプテスト教会週報 
       二〇〇二年一〇月六日号
       ▽み言葉の深い味わいを求めて
 
 
「正しい道を行けるかぎり進んでいけ」
 
 信仰者の生活には、即決をせまられる問題が多くおこってきます。何とはなしにこれまでの生活の延長をする人は、考えたり、悩んだり、祈ったりする気迫がこもらないので進歩が遅いのです。
あとの者が先になり、先の者があとになる。(マタイ二〇章一六節)≠ニいうイエス様のお言葉のとおりなのです。私たちが、主イエスに喜ばれようとするときに、かならず摩擦がおこります。そして、友だちを失うことや、商売が不振になることをおそれたりします。

 悩むことは成長への過程です。注意したいことは、その悩みが主イエスによって解決されることを求め続けることです。決して人間的な妥協で安っぽい答えをひき出してはならないのです。正しい道は多くはありません。光と闇とが絶対にまじわらないように、神様の善と、罪の悪とはまじわれないのです。水と油です。

 
『イワンのばか』という物語を読んだ人も多いことでしょう。私たちは、だまされ続ける男をみて、はがゆくなります。そして、腹を立てながら読みすすみます。


「なんてアホだろう! もう少し考えたらいいのに。いくら何でもひどい。」

 
 このストーリーの中には、徹底した姿勢があります。むかし読んだ物語ではありますが、いま考えてみると、たいへん奥行きの深い寓話に思えます。
 
 人間と人間の世界なら、彼は大バカ者として物笑いの種になるでしょう。だが神様を中心に考えるとき、私たちは自分自身の信仰が徹底さを欠くことに胸をつかれます。幼な子のごとくなれ=iマタイ伝一八章)とは、どういうことであったのでしょうか。


 「主よ、どうか私に信仰の純粋さ、幼な子のようなすなおさをあたえて下さい。」

 
あなたは道のどの辺にいるでしょうか。


* ミニコラム *

 
@歴史書、使徒行伝とは? この書は、医者であり、ルカ伝の著書であるルカが書きました。キリストの時代から、使徒パウロの投獄、そして、紀元一世紀の教会の歴史を記しています。
 
Aパウロの書簡とは? パウロによって、教会にあてて、また個人にあてて書かれた一三の手紙です。ローマ人への手紙、コリント人への第一・第二の手紙、ガラテヤ人への手紙、エペソ人への手紙、ピリピ人への手紙、テサロニケ人への第一・第二の手紙、テモテへの第一・第二の手紙、テトスへの手紙、ピレモンへの手紙、そして、ヘブル人への手紙です。書簡の内容は福音についての神の説明です。
 


◎ 暗誦聖句  マタイ伝六章三一節さらば何を食(くら)い、何を飲み、何を着んとて思い煩(わずら)うな

           


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