◆クリスチャン生活(六)
     習志野バプテスト教会週報 
       二〇〇二年一一月三日号
       ▽正しい姿勢で

 

 「神のご命令の背後には、いつも神の全能の御手が後押しされている。」 
「クリスチャンになるのもいいが、自分の力でとてもついていけそうにない。」

「聖書の話を聞くのは好きだけど、自分の生活を変える自信がない。」

「牧師の話すことは、伝道者なら出来るかもしれないが、私たち一般の信者には、難しくて実行できない。」

等々、色々な答えが返ってきます。

 
ここに簡単な問いかけをしましょう。
 
ア、神様は、何のために人をお造りになったのでしょうか。
 
イ、神様は、人間が苦しみ、悶え、悲しむ姿を喜ぶために(サド的)私たちを救って下さったのでしょうか。
 
ウ、父親は、乳児にムリな注文をしたり、その力以上のことを求めるでしょうか。
 
 神様は決して不合理なお方ではありませんから、人間の能力以上を要求なさらないのです。
 
 親子、夫婦、社会、あらゆる人間関係において、神様を第一とした交わりを要求されます。そして、もし、信仰を捨てるように上位の者から命令される時には、神様のより高い命令を選ぶのです。しかし、通常の社会生活の中では、出来る限り平和に、神様のお立てになった秩序を尊びます。
 
「神を捨てるか、親を捨てるか。」と問いつめられる青年がいます。
 神様を第一に考えるなら、神様は困難な事情を解決して下さいます。そして、神様によろこばれ、しかも親にも喜ばれる最善の道が開かれてくるのです。私たちは臆病なために、神様に祈り求めるより先に、ダメだとあきらめてしまうことがあります。どんな神様のご命令にも、かならず神様の全能の摂理が働くことを信じようではありませんか。
 
 人間生活には、色々な決断がつきものです。その一つ一つの決心に、まず神様の大命令を忠実に実行することが出来るように祈り、神様の時と道が開かれるのを待つべきです。その答えは、直前まで見えないことが多いですが、神様の助けは、何ものにもまさる力です。
 
 日本は、世界の経済を左右するほどの経済力を持っています。そのためか、クリスチャンの間にも知らず知らずのうちに、お金の魔力にとりつかれる人が出てきます。
 
 世界一物価の高い日本で生活する事は、容易ではありません。外国人宣教師は皆、ドルの換算値が低くなって嘆いています。確かに今の状態では、不安なく生活が出来る人は少ないでしょう。限られた収入の中から、十分の一献金をする事は大変です。
 しかし、神様の約束を覚え、喜ぼうではありませんか。エホバ備えたもう≠ニいう御約束があるのですから。
 
 
◎ 暗誦聖句 マタイ伝七章六節聖なる物を犬に与うな。また真珠を豚の前に投ぐな
            

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