◆音楽セミナー(一)
     習志野バプテスト教会週報
     二〇〇三年一月一二日号
     ▽「新しい歌を神に」 詩篇九六の一

 クリスチャンが使っている歌(聖歌)は大切です。教会の働きのために一番大切なのは御言葉の教え、教理です。二番目は、音楽です。どちらも合わなければいけません。
 いろいろな理由があって教会音楽が変わってきていることは事実です。変わっていないところもあります。少しずつかわってきているところもあります。新しいことがダメだ、と言っているのではありません。

 教会では、世的なものはよくないということです。使っている音楽について「あの歌はどうですか?」「この歌はどうですか?」という感じでの判断はできません。歌い方しだいで悪い歌にもなるからです。私たちの権威はどこにあるのかを考えてください。

 どうして音楽が変わってきてしまったのでしょう。若者の好きな音楽、参加してくれるから、教会の人数をふやすため、時代が変わってきている、等と理由があると思います。しかし、聖書の教えではありません。私たちは、音楽に関しても、聖書に応じてどうしたらよいかを考えましょう。    

一、主は歌をもっておられます。

 我ら外邦(とつくに)にありて、いかでエホバの歌をうたわん や。=@  
          詩篇一三七篇四節
 私たちは主のものです。私たちには神様から与えられた音楽があります。主の歌は世の歌と違っています。主の霊的な音楽です。

二、主の歌は新しい歌です。

 エホバは新しき歌をわが口にいれたまえり。こは我 らの神にささぐる讃美なり。
   詩篇四〇篇三節

 新しい歌があったという事は古い歌もあったということです。主を受け入れる前の音楽と主の歌はちがいます。

 すべて主の御名を呼び求むる者は救わるべし。=@
            ロマ書一〇章一三節

 主は私の叫びをお聞き下さり、私を滅びの穴から、そして泥沼からひきあげて下さいました。主は私の足を岩の上において下さり、主は私の歩みを確かにして下さいました(詩篇四〇篇二節)。

されば主にありて囚人(めしうど)たる我なんじらに勧(すす)む。汝ら 召されたる召(めし)に適(かな)いて歩み、
      エペソ書四章一節

 主は私を滅びの中からお救い下さっただけでなく、新しい歌を授けて下さいました。その目的は、神様を賛美し、他の人に神様の救いとそのすばらしさを証し、新しい歩みをするためです。

 世にある音楽がすべて悪いとは言っていません。中にはいい音楽もあります。例えばクラシック音楽です。しかし、主の宮である教会では、主の歌を用いるべきです。この世の音楽を教会で使うことは良くありません。

(当教会でのロン・ホワイト博士の音楽セミナーから)            (続く)

◎ 暗誦聖句 詩篇一二六篇五節 


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