◆音楽セミナー(三)
習志野バプテスト教会週報
二〇〇三年一月二六日号
▽「新しい歌を神に」 詩篇九六の一
一、主は歌をもっていらっしゃる。
二、主の歌はこの世の歌とは違う新しい歌です。
三、主の歌は霊的な歌です。
四、主の歌は特別な歌です。
ア、メッセージ
主の歌は特別です。歌う時には歌う人の心に御霊が働かれます。主の歌は心から歌わなければ、クリスチャンとして成長しません。主の歌は心から歌わなければ御霊は働かれません。心から歌うために、歌詞の意味がわからなければ、意味を調べるべきです。
イ、音楽
@教会で使う歌は霊的であり、聖書的(WORD)であるべきです。主の歌は神の栄光をあらわすものであり、自然の法則にあうものであり、御父から出たもの(詩篇四〇篇)です。
汝ら心すべし、恐らくはキリストに従わずして人の伝言(いいつたえ)と世の小学とに従い、人を惑わす虚しき哲学をもて汝らを奪い去る者あらん。
コロサイ書二章八節
一方、この世の音楽は世的(WORLD)であり、感情的で、肉に属するものです。また、神のご栄光ではなく、人間の栄光をあらわし、自然の法則にも逆らうものです。御父からではなく、この世から出たものです。
A主の歌は生きていて、力があります、説教の目的は、責め、戒め、勧めることです(テモテ後書四章二節)。説教と讃美の目的は似ています(コロサイ三・一六、テモテ後書三・一六)。
では、これほど大切な音楽がなぜ 世的なものにかわってきてしまったのでしょうか。一つには、準備、練習が足りない状況で、それを補おうと、人々が喜ぶ音楽、目新しい音楽に流れているのです。
B主の歌は良いものであるべきです。そのために、良く計画し、よく準備をし、よい音楽を選ぶべきです。すなわち、メッセージ(説教)にあった良い歌を選び、最善をつくして練習をするということです。
ウ、音楽奉仕者
音楽の奉仕に携わる人は、
@霊的なクリスチャンであり(世的でない「心」)、
A霊的なクリスチャンであると見える人(世的でない「服装」)、
B霊的なクリスチャンであると聞こえる人(世的でない「キリスト教の音楽であることがわかる」)であるべきです。
我らの受けし霊は世の霊にあらず、神より出ずる霊なり、これ我らに神の賜いしものを知らんためなり。
コリント前書二章一二節
◎ 暗誦聖句 コリント後書五章一七節
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