◆パウロの生涯(五一) ▽救いと幸福の道 ー救いの広がりー 使徒行伝一六章一九節以下三四節
『君たちよ、我救われんために何をなすべきか。』
二人は言う。『主イエスを信ぜよ、さらば汝も汝の家 族も救われん。』……
この夜、即時に獄守(ひとやもり)かれらを引取りて、その打ち 傷を洗い、遂に己(おのれ)も己に属する者もみな直(ただ)ちにバプ テスマを受け、かつ二人を自宅に伴いて食事をそなえ、 全家とともに神を信じて喜べり。 占いの霊につかれた女(サムエル前書二八章参照)が使徒パウロによって呪縛をとかれた(悪霊が追い出された)ために占いを金もうけの道具としていた主人らはパウロとシラスを捕らえて牢にぶちこむよう画策した。 幸福(さいわい)ある日には楽しめ、禍患(わざわい)ある日には考えよ。 神はこの二者(ふたつ)を交錯(まじえ)て降(くだ)したもう。こは人をしてその後のことを知ることなからしめんためなり。
伝道の書七章一四節 商売人や事業家は自分がやろうとする大きな事に全財産、生命までも賭けようとして占いに頼る。だが昔から当たるも八卦(はっけ)当たらぬも八卦≠ニ言われる通りであるが、日本の政治家ばかりかアメリカの大統領夫人が占いにこって大統領のスケジュールをきめたというから無視出来ない。
牢の一番奥にはパウロとシラスが足かせをはめられ捕らわれていた。夜中にこの二人は祈り、神を賛美していると、大きな地震がおこり全ての囚人の縄がとけ、戸も開いた。看守は囚人が逃げたと早合点をして自殺をしようとした時、パウロにとどめられた、とある。
ローマ兵は囚人を逃がすと自分の生命を失うという厳しい法があったという。看守は大きな地震が単なる偶然のこととは、考えなかった。創造主であられる神の介入がなされたと直感したのだ。それほどパウロの評判が高かったのと、犯罪をおかした人物とは考えなかったためであろう。
「救われるために何をすべきか。」 私たちは人間の努力とか金銀(お金)で神様の恵みと救いを買えると教えられてきた。
自分が真の神様から遠く離れた存在(罪のため)であることを認めなければならない。神を認めず、感謝もせず、自己中心の生き方をスマートな文化人と自己満足をした状態がゆるされなければならない(ロマ書一章一八節以下)。
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